耳嚢 巻之七 屋鋪内在奇崖事
屋鋪内在奇崖事
文化二の冬の初(はじめ)頻に四ツ谷の去(さる)屋しきの庭の中煙立(たち)し俄に崩潰(くづれつぶれ)しに、大き成(なる)穴ありて右下には家居抔ありし。不思議の事なりと口々の評判なりしが、知れる人に聞(きき)しに大ひ成る妄説なり。大久保余町丁に小普請組久貝忠左衞門支配渡邊吉左衞門といへる人の屋しき内隅の方に畑ありしが、自然と煙立ける故心を付(つけ)見しに、とこしなへに煙立(たつ)にもあらず。時として度々立しに、或時右場所くへ込(こみ)けるが、又明(あけ)の日も煙立(たち)くへ込崩(こみくづれ)ける。穴ある躰(てい)故土など取退(とりの)けしに、六疊敷程の小屋にて白壁は塗たる如く、右内片脇にたなの如く土にて仕立(したて)、右の方井戸とも言(いふ)べき物有(あり)。汲(くみ)て見るに泥水の由、右はいか成(なる)語(こと)にやあらん。鬼寶窟(きほうくつ)抔とりどり珍事の樣子に申觸(まうしふれ)ける。予思ふに、右屋しきの先祖か抔穴藏を丁寧に拵へけるを、後世に等閑(いたづら)に埋め澄しとならん。煙の立しは内に空虛の所なるゆへ、自然と地氣胎(はら)んで洩(も)る所あるゆへ、煙のごとく立(たつ)なるべしと。又井戸の事不審なれど、是も右の丁寧深切人(のひと)、何か心ありてもふけたるなるべし。
□やぶちゃん注
○前項連関:特になし。現職の南町奉行なれば市中の怪異の否定に力が入る。
・「屋鋪内在奇崖事」「やしきうちきがいあること」と読む。
・「文化二の冬」「卷之七」の執筆推定下限は文化三(一八〇六)年夏であるから、ホットな都市伝説である。
・「大久保余町丁」「丁」は錯字で余丁町。「よちやう(よちょう)まち」で現在の新宿区の東部、牛込地区に余丁町として現存する。旗本の組屋敷があった。
・「久貝忠左衞門」岩波版長谷川氏注に『正貞。当時小普請組支配。』とある。
・「渡邊吉左衞門」底本鈴木氏注に『有(タモツ)。寛政二年(二十一歳)家督』とあるから寛政二年は西暦一七九〇年)、当時は数え三十六歳。
・「右屋しきの先祖か抔」岩波のカリフォルニア大学バークレー校版では、『右屋敷の先々の主か、または今住む人の先祖など』とある。訳ではそれを採用した。
・「埋め澄し」底本では「澄し」の右に『(濟せし)』と訂正注がある。「すませし」と読む。
■やぶちゃん現代語訳
屋敷内に奇怪な崖の在った事
文化二年の冬の初め、頻りに、四ッ谷辺のさる屋敷の庭の中に、妖しき煙(けぶ)りの立って、俄かに崩れ潰れたが、そこには大きな穴が御座って、その底に人の作った家居などがあったと申しては、「不思議なことじゃ!」なんどと口々に評判致いて御座ったが、これは私の知人に聞いてみたところが、全くの妄説であることが判明して御座る。
その聴取した事実は以下の通りで御座る。
大久保余丁町(よちょうまち)に小普請組久貝忠左衛門殿御支配の渡邊吉左衛門と申さるる御仁がおられ、その方の屋敷内の隅の方(かた)に、崖に面して畑があった。
焚き火なんど何もしておらぬにも拘わらず、その辺りにて自然と煙りのようなものが立つことが、これ御座ったゆえ、気を付けて観察してみたところが、年中煙が立つわけではないが、確かに時として靄のようなものが立ち上ることが御座ったと申す。
ある時、地震(ない)も御座らぬに、突如、かの崖が崩れ潰れたが、その翌日も同じところでやはり煙りが立って、同じ如、深く崩落致いた。
崩れた崖の斜面をよく見ると、そこには大きなる穴がある様子。されば周囲の土を取り退けてみたところが――六疊敷ほどの人工の小屋が――そこに出来致いた。
形状は、総て白壁を塗った如くに綺麗に仕上げてあり、その白壁土蔵の内部の片側には、土を用いて棚の如くに仕立てた箇所があり、同じくその内の一画には井戸とも言うべき形の穴が見出だされた。試みに桶を吊り下げて汲んでみたところが、採れたのはどろどろの水で御座った由。
以上の奇体なものは一体如何なるものかと、世間でも噂となり、人によっては「鬼や妖怪が棲み、奪い取った宝物を隠すと申す鬼宝窟(きほうくつ)じゃ!」なんどと、まあ、とりどりの憶測妄想を広げては、流言飛語して御座った。
私が思うには、この屋敷の先祖か、若しくは渡辺殿の御先祖かが、邸内の切岸部分に、大火の折りなどに物を避難させるための穴倉を丁寧に拵えておいたものを、後世――しかし、そうした事実が忘れられるしまうような相応の昔に――誰かが役に立たぬものとして、外見上では全く分からように埋め直し、崖に戻してしまったものであろうと推測致す。
妖しい煙が立ったと申すは、これ、地の内部に普通は生じないこのような有意に広い空虚なる場所が出来てしまったゆえ、自然と地下の湿気や熱気なんどがそこに時間をかけて溜って参り、それが一杯になった折りに、どこぞに出来た地表に通ずる孔を抜けて洩るることが、これ、時としてあった――それが煙か霞のよ如くに立って見えたもので御座ろう。また、土蔵の内部にあった泥水の井戸と申すは、一見不審奇怪とも見えるが、これも最初にこの土蔵を拵えた丁寧深慮の御仁が――謂わば、そこを火急の折りの避所として作ったと致さば――何か、こう、思うところのあって設けたもの――例えば数日の間はその内にて過ごせるだけの水を得る方途として掘らせたものの、良き水は出ず諦めたが、井戸は埋め戻さず、そのままにしておいた――なんどと考えても何ら、不思議で御座るまい。
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