『風俗畫報』臨時増刊「江島・鵠沼・逗子・金澤名所圖會」より江の島の部 13 聖天島
●聖天島
島の東岸(とうがん)にあり。天女影向の古跡と云ふ。
[やぶちゃん注:以下の引用は、底本では全体が一字下げ。]
江島緣起曰(えのしまえんぎにいはく)慈悲上人良眞修行する事一千餘日の間。建仁二年七月十五日夜寅刻ばかりに。巖窟の内に紫雲異香三千光明赫燿曜(かくえう)として。天女壇上に現(げん)し。童子左右に侍り。天女妙音を出して告て曰。云々。此壇所今代(きんだい)には聖天岩白狐石と號す。又一本松と名つく。
又雨氣を帶(おぶ)れは。鳴動するにより。水天島とも呼へり。
[やぶちゃん注:以下の引用は、底本では全体が一字下げ。]
安然記曰。島東海岸有石島。即聖天生身體也。島上有白龍。長八寸唇赤色也。欲降雨時鳴動。是故名水天島。
窟に良眞の像を安す。昔は孤松ありて。海風を凌ぎ。伸(の)ひず凋(しぼ)ます。幾百年を經過せしが。今や枯れぬ。只萱茅の繁茂するを見るのみ。
[やぶちゃん注:現在の陸地化した聖天島の様子は「新編鎌倉志巻之六」の「聖天島」の注に附した私の写真などを参照されたい。
「建仁二年」西暦一二〇二年。
「安然記曰……」を我流で書き下しておく。
「安然記」に曰はく、『島の東の海岸、石島(いしのしま)有り。即ち聖天生身(しやうしん)の體(たい)なり。島の上に白龍有り、長さ八寸にして、唇は赤色なり。降雨せんと欲(す)る時は鳴動す。是れ、故に水天島と名づく。』と。
「萱茅」はこれで「ちがや」と読ませているものと思われる。通常は「茅萱」である。]
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