日本その日その日 E.S.モース(石川欣一訳) 第八章 東京に於る生活 14 西郷自決と本邦進化論事始
往来を通行していると、戦争画で色とりどりな絵画店の前に、人がたかっているのに気がつく。薩摩の反逆が画家に画題を与えている。絵は赤と黒とで色も鮮かに、士官は最も芝居がかった態度をしており、「血なまぐさい戦争」が、我々の目からは怪奇だが、事実描写されている。一枚の絵は空にかかる星(遊星火星)を示し、その中心に西郷将軍がいる。将軍は反徒の大将であるが、日太人は皆彼を敬愛している。鹿児島が占領された後、彼並に他の士官達はハラキリをした。昨今、一方ならず光り輝く火星の中に、彼がいると信じる者も多い。
[やぶちゃん注:所謂、西郷星(さいごうぼし)である。、西南戦争による世の混乱の中、西郷隆盛の死を悼む人々の間で流布した都市伝説である。この頃、たまたま火星の大接近があり、最接近時の九月三日には距離5630万キロメートル・光度-2・5等級あまりにまで輝いていた。当時の庶民はこれが火星である事は知らず、「急に現われた異様に明るい星の赤い光の中に、陸軍大将の正装をした西郷隆盛の姿が見えた」という噂が流れ、西郷星と呼ばれて大騒ぎになった(以上はウィキの「西郷星」に拠ったが、ここでも何と本書のこのシーンが挙げられている)。西南戦争は明治一〇(一八七七)年九月二十四日、城山での西郷隆盛の切腹で終ったが、磯野先生の「モースその日その日 ある御雇教師と近代日本」によれば、奇しくもちょうどその西郷自刃の当日、モースは東京帝国大学予備門四年の動物学講義の中で初めて(最初の講義は九月十二日であった)進化論について触れたのであった。……血生臭い蠟人形……西郷の自決と血のように赤い火星「西郷星」の出現……残酷絵の中の西郷の腹切り図……浅草寺の猿回しの猿……猿から人が生まれたという驚愕の学説を講義するモース……そこに何か、私には不思議な因縁を感じるのである。なお、この浅草訪問は従って西郷自死の後、十月になってのことと推測される。]
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