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2013/08/24

いろはがるた 萩原朔太郎

 

 △いろはがるた

 

 

いろはがるたの「え」

 

えてに帆をあげ

 

いろはがるたの「ぬ」

 

ぬすびとのひるね

 

いろはがるたの「の」

 

のどもと過ぐればあつさを忘る

 

わすれたわけではなけれども

 

なんとしあんもつきはてゝ

 

御酒(おさゝ)のむのもけふかぎり

 

としちやんとこもけふかぎり

     ×

その目つき

 

とんと可愛いや

 

しんぞいとしや

 

その目つき

 

ほら、つかめた

 

     ×

 

どうしたてかうしたて

 

飮まずはならないこの酒を

 

ぢつとみつめたしんきくさ

 

えゝもうぢれつたい

 

いつそ左樣にいたしませう

 

     ×

 

とほせんぼ

 

さくらんぼ

 

花ちやんとこのねんねこさん

 

ちつちと鳴くはありやなんぢや

 

きのふの朝までとほせんぼ

 

     ×

 

若い身空でなにごとぞ

 

ばくちはうたねど酒飮みで

 

につぽん一のなまけもの

 

のらりくらりとしよんがいな

 

因果(いんが)が果報かしほらしや

 

     ×

 

千鳥あし

 

やつこらさと來てみれば

 

にくい伯母御にしめ出され

 

泣くになかれずちんちろり

 

柳の下でひとくさり、

 

     ×

 

となりきんじよのおこんぢよに

 

うたれつめられくすぐられ

 

ぢつと淚をかみしめる

 

靑い毛絲の指ざはり

 

     ×

 

三十になるやならずで勘平は

 

何故におなかをきりました

 

つらつらうき世をかんずるに

 

きのふの雨ほけさの風

 

わが身のいたさつめれども

 

ひとの知らねばなんとせう

 

あれやこれやとぢれるより

 

いつそこゝらでひと思ひ

 

            (大正三年五月十九日) 

 

[やぶちゃん注:底本の筑摩版全集第二巻の「習作集第八巻(愛憐詩篇ノート)」より。題名の上の「△」は底本編者注によって補った。題名の一部ではなく、朔太郎の注記記号と思われるが、復元した。3連目の取り消し線は抹消を示す。但し、6行目の「因果」が原草稿が「囚果」であるのは朔太郎自身の書き損じと断じて「因果」に訂した。以下はママ。

 

3連2行目 「飮まずは」の「は」

 *(全集校訂本文では「ば」に訂するが、これは寧ろ、「ずは」が正しいと考える。後注参照。)

 

  3行目 「ぢつと]の「ぢ」

 

  4行目 「ぢれつたい」の「ぢ」

 

5連5行目 「惣れた」の「惣」

 

  6行目 「因果(いんが)」のルビの「が」

 

    同 「因果(いんが)が」の本文助詞「が」

 *(全集校訂本文では誤植と断じて「か」に訂している。私は微妙に留保する。)

 

    同 「しほらしや」の「ほ」

 

7連3行目 「ぢつと」の「ぢ」

 

8連3行目 「かんずるに」の「かん」

 *(全集校訂本文ではこれを「觀ずる」と採って、「くわんずる」と訂している。無論、目的語は「うき世」であるからして、思い巡らして物の真理や本質を悟る、観想するという意の「觀ずる」が用法としては正しい。しかしそうした正統な修辞法が、朔太郎がここで用いたのは「感ずる」で決してなかったとする論拠にはならないと私は思う。)

 

8連7行目 「ぢれるより」の「ぢ」

 

 以下、語注する。

 

「えてに帆をあげ」「得手に帆を揚ぐ」は、得意なことを発揮披露出来る絶好の機会が到来し、調子に乗って事を行うことをいう。表記通り、「江戸いろはかるた」の「え」の詞。「得手に帆を引く」「得手に帆柱」「順風に帆を揚げる」「順風満帆」などは皆、同義の諺。


「しんぞ」「新造(しんぞう)」の音変化。御新造(ごしんぞ)。御新造(ごしんざう(ごしいぞう)は他人の妻の敬称。古くは武家の妻、後に富裕な町家の妻の敬称。特に新妻や若女房に用いた。

 

「ずは」打消の助動詞「ず」+連用形に指示の係助詞「は」。「万葉集」に見られる上代の語法で「~しないで」の意。近世初期にこの係助詞「は」を接続助詞「ば」と誤解して「ずば」が慣用化したが、本来の正字法を用いるケースも近代にあってもしばしば見られる。私は朗読の観点からもここは底本校訂本文のように「ずば」とすべきではない、と考える。

 

「ねんねこ」は原義的な猫の意にも、派生的な幼児、人形の意にも採れる。幼児・赤ん坊のケースでは、「日本国語大辞典」に群馬県では邑楽郡で採取されている。本詩全体に通底する独特の危うさから言えば、私は断然、「赤ん坊」の意で採りたい。

 

「しよんがいな」感動詞で、俗謡などの終わりにつける囃し言葉。しょんがえ。しょうがないの意とする記載もあるが、これが感動詞であって囃し言葉であるとすれば、「なるほど」「そうかいな」「もっともじゃ」といった相槌・合いの手と考えるべきである。

 

「しほらしや」正しくは「しをらしや(しおらしや)」。「しをらし」は「萎(しを)れる」の形容詞化かとも考えられ、①控えめで従順である。慎み深く、いじらしい。②かわいらしい。可憐である。③健気(けなげ)である。殊勝である。④上品で優美である。⑤(反語的に)小生意気で、癇に障る様子や小賢しい、といった多様な意味を持つ。ここは「因果か果報か」という条件句を考えれば、皮肉を込めた⑤を響かせながら、②の謂いで私は採る。

 

「ちんちろり」「ちんちろりん」は松虫の鳴き声(地方によっては鈴虫のそれであるが、「日本国語大辞典」に群馬県では佐波郡で「松虫」で採取されている。)を指す。「いろはがるた」と言い始め、主人公が変わらない、変心せぬ理由はないにしても、前段で「ばくちはうたねど」とあるから、骰子博奕のそれの意味ではあるまい。転落の詩集であれば、コーダ近くのこの虫声のSEは極めて効果的と言える。

 

「おこんぢよ」は「意地悪」の意の群馬方言(おこんじょ群馬の方言の意味・変換全国方言辞典―goo辞書に拠る)。底本にはこれのみ編者注で『「根性、意地惡」を意味する上州方言』とある。従って「ぢ」は朔太郎の誤字である。]

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