いろはがるた 萩原朔太郎
△いろはがるた
いろはがるたの「え」
えてに帆をあげ
いろはがるたの「ぬ」
ぬすびとのひるね
いろはがるたの「の」
のどもと過ぐればあつさを忘る
わすれたわけではなけれども
なんとしあんもつきはてゝ
御酒(おさゝ)のむのもけふかぎり
としちやんとこもけふかぎり
×
その目つき
とんと可愛いや
しんぞいとしや
その目つき
ほら、つかめた
×
どうしたつてかうしたて
飮まずはならないこの酒を
ぢつとみつめたしんきくさ
えゝもうぢれつたい
いつそ左樣にいたしませう
×
とほせんぼ
さくらんぼ
花ちやんとこのねんねこさん
ちつちと鳴くはありやなんぢや
きのふの朝までとほせんぼ
×
若い身空でなにごとぞ
ばくちはうたねど酒飮みで
につぽん一のなまけもの
のらりくらりとしよんがいな
因果(いんが)が果報かしほらしや
×
千鳥あし
やつこらさと來てみれば
にくい伯母御にしめ出され
泣くになかれずちんちろり
柳の下でひとくさり、
×
となりきんじよのおこんぢよに
うたれつめられくすぐられ
ぢつと淚をかみしめる
靑い毛絲の指ざはり
×
三十になるやならずで勘平は
何故におなかをきりました
つらつらうき世をかんずるに
きのふの雨ほけさの風
わが身のいたさつめれども
ひとの知らねばなんとせう
あれやこれやとぢれるより
いつそこゝらでひと思ひ
(大正三年五月十九日)
[やぶちゃん注:底本の筑摩版全集第二巻の「習作集第八巻(愛憐詩篇ノート)」より。題名の上の「△」は底本編者注によって補った。題名の一部ではなく、朔太郎の注記記号と思われるが、復元した。3連目の取り消し線は抹消を示す。但し、6行目の「因果」が原草稿が「囚果」であるのは朔太郎自身の書き損じと断じて「因果」に訂した。以下はママ。
3連2行目 「飮まずは」の「は」
*(全集校訂本文では「ば」に訂するが、これは寧ろ、「ずは」が正しいと考える。後注参照。)
3行目 「ぢつと]の「ぢ」
4行目 「ぢれつたい」の「ぢ」
5連5行目 「惣れた」の「惣」
6行目 「因果(いんが)」のルビの「が」
同 「因果(いんが)が」の本文助詞「が」
*(全集校訂本文では誤植と断じて「か」に訂している。私は微妙に留保する。)
同 「しほらしや」の「ほ」
7連3行目 「ぢつと」の「ぢ」
8連3行目 「かんずるに」の「かん」
*(全集校訂本文ではこれを「觀ずる」と採って、「くわんずる」と訂している。無論、目的語は「うき世」であるからして、思い巡らして物の真理や本質を悟る、観想するという意の「觀ずる」が用法としては正しい。しかしそうした正統な修辞法が、朔太郎がここで用いたのは「感ずる」で決してなかったとする論拠にはならないと私は思う。)
8連7行目 「ぢれるより」の「ぢ」
以下、語注する。
「えてに帆をあげ」「得手に帆を揚ぐ」は、得意なことを発揮披露出来る絶好の機会が到来し、調子に乗って事を行うことをいう。表記通り、「江戸いろはかるた」の「え」の詞。「得手に帆を引く」「得手に帆柱」「順風に帆を揚げる」「順風満帆」などは皆、同義の諺。
「しんぞ」「新造(しんぞう)」の音変化。御新造(ごしんぞ)。御新造(ごしんざう(ごしいぞう)は他人の妻の敬称。古くは武家の妻、後に富裕な町家の妻の敬称。特に新妻や若女房に用いた。
「ずは」打消の助動詞「ず」+連用形に指示の係助詞「は」。「万葉集」に見られる上代の語法で「~しないで」の意。近世初期にこの係助詞「は」を接続助詞「ば」と誤解して「ずば」が慣用化したが、本来の正字法を用いるケースも近代にあってもしばしば見られる。私は朗読の観点からもここは底本校訂本文のように「ずば」とすべきではない、と考える。
「ねんねこ」は原義的な猫の意にも、派生的な幼児、人形の意にも採れる。幼児・赤ん坊のケースでは、「日本国語大辞典」に群馬県では邑楽郡で採取されている。本詩全体に通底する独特の危うさから言えば、私は断然、「赤ん坊」の意で採りたい。
「しよんがいな」感動詞で、俗謡などの終わりにつける囃し言葉。しょんがえ。しょうがないの意とする記載もあるが、これが感動詞であって囃し言葉であるとすれば、「なるほど」「そうかいな」「もっともじゃ」といった相槌・合いの手と考えるべきである。
「しほらしや」正しくは「しをらしや(しおらしや)」。「しをらし」は「萎(しを)れる」の形容詞化かとも考えられ、①控えめで従順である。慎み深く、いじらしい。②かわいらしい。可憐である。③健気(けなげ)である。殊勝である。④上品で優美である。⑤(反語的に)小生意気で、癇に障る様子や小賢しい、といった多様な意味を持つ。ここは「因果か果報か」という条件句を考えれば、皮肉を込めた⑤を響かせながら、②の謂いで私は採る。
「ちんちろり」「ちんちろりん」は松虫の鳴き声(地方によっては鈴虫のそれであるが、「日本国語大辞典」に群馬県では佐波郡で「松虫」で採取されている。)を指す。「いろはがるた」と言い始め、主人公が変わらない、変心せぬ理由はないにしても、前段で「ばくちはうたねど」とあるから、骰子博奕のそれの意味ではあるまい。転落の詩集であれば、コーダ近くのこの虫声のSEは極めて効果的と言える。
「おこんぢよ」は「意地悪」の意の群馬方言(「おこんじょ(群馬の方言)の意味・変換―全国方言辞典―goo辞書」に拠る)。底本にはこれのみ編者注で『「根性、意地惡」を意味する上州方言』とある。従って「ぢ」は朔太郎の誤字である。]