雨中を彷徨する 萩原朔太郎 (「みじめな街燈」初出形)
雨中を彷徨する
雨のひどくふつてる中で
道路の街燈はびしよびしよぬれ
やくざな建築は坂に傾斜し へしつぶされて歪んでゐる
はうはう ぼうぼうとした煙霧の中を
あるひとの運命は白くさまよふ
そのひとは外套に身をくるんで
まづしく みすぼらしい鳶(とんび)のやうだ
とある建築の窓に生えて
風雨にふるへる ずつくりぬれた靑樹をながめる
その靑樹の葉つぱがかれを手招き
かなしい雨の景色の中で
厭やらしく 魂のぞつとするものを感じさせた
さうしてびしよびしよに濡れてしまつた。
影も からだも 生活も 悲哀でびしよびしよに濡れてしまつた。
[やぶちゃん注:『詩聖』第九号・大正一一(一九二二)年六月号に掲載された。但し、標題の「彷徨」は初出では「彷惶」。誤字或いは誤植として訂した。後に詩集「靑猫」(大正一二(一九二三)年一月新潮社刊)のパート標題「さびしい靑猫」(裏頁に、
ここには一疋の靑猫が居る。さうして柳は
風にふかれ、墓場には月が登つてゐる。
という序詩を載せる)の章の冒頭に、「みじめな街燈」と題を変えて配された。殆んど変化はないが、「靑猫」版を示しておく。
*
みじめな街燈
雨のひどくふつてる中で
道路の街燈はびしよびしよぬれ
やくざな建築は坂に傾斜し へしつぶされて歪んでゐる
はうはうぼうぼうとした烟霧の中を
あるひとの運命は白くさまよふ
そのひとは大外套に身をくるんで
まづしく みすぼらしい鳶とんびのやうだ
とある建築の窓に生えて
風雨にふるへる ずつくりぬれた靑樹をながめる
その靑樹の葉つぱがかれを手招き
かなしい雨の景色の中で
厭やらしく 靈魂(たましひ)のぞつとするものを感じさせた。
さうしてびしよびしよに濡れてしまつた。
影も からだも 生活も 悲哀でびしよびしよに濡れてしまつた。
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更に、後の四詩集では、総て二行目が、
道路の街燈はびしよびしよにぬれ
となっている以外は大きな詩想上の変化はない。この初出から見ると、詩集「靑猫」での変更が最も大きい。]