霧・ワルツ・ぎんがみ――秋冷羌笛賦 街頭スケッチ 三十二首 中島敦
(以下三十二首 街頭スケッチ)
冬近み露西亞菓子屋の窓邊なるベゴニアの花散るべくなりぬ
[やぶちゃん注:店を同定しようと思ったが、田舎者の私は横浜に暗く果たせない。識者の御教授を乞う。以下、同じ。]
日耳曼(ぜるまん)のレストラントに日耳鼻の客も來らず秋聞けにけり
[やぶちゃん注:「日耳曼(ぜるまん)」ゲルマンでドイツの旧漢訳語。]
山手なる教會の鐘なるなべに紅薔薇散りぬ秋深みかも
[やぶちゃん注:「山手なる教會」現在の横浜市中区山手町にあるカトリック山手教会。英語名“Sacred Heart Cathedral”(聖心大聖堂)。カトリック横浜司教区のカテドラル(大聖堂)で現在の山下町にあった横浜天主堂が移転して明治三九(一九〇六)年に現在地に創建された。大正一二(一九二三)年の関東大震災で倒壊後、ヤン・ヨセフ・スワガーの設計により昭和八(一九三三)年に再建されており、本歌稿の成立時期は昭和一二(一九三七)年前後であるから、再建から三~四年を経た頃である。「なべに」は「なへに」(接続助詞「なへ」+格助詞「に」)が推定で中古以降に濁音化したもの。~するにつれて、~とともに、~と同時に、の意。]
吾が心むすぼほれつゝ街行けば出船の銅鑼の聞えつもとな
[やぶちゃん注:「もとな」副詞で、訳もなく・やたら、若しくは、切に・非常に、の意。両意を含めてよい。]
異人の兄は菓子の銀紙棄て行きぬ秋のあしたの鋪道の上に
[やぶちゃん注:冒頭のロシア菓子とすれば、小麦粉を主原料とした生地で作ったロシアの焼き菓子プリャーニク(пряник)か。]
杖とめて孫(うまご)に何か聞くらしきスラブ嫗(をうな)の赤頭巾かな
[やぶちゃん注:「孫(うまご)」孫。「むまご」とも表記する。「スラブ」“Slav”はインド―ヨーロッパ語族の中の、スラブ語を使う民族の総称。原住地はカルパチア山脈の北方と推定され、民族大移動の際、東ヨーロッパ一帯に拡散した。東スラブ族(ロシア人・ウクライナ人・白ロシア人など)、西スラブ族(ポーランド人・チェコ人・スロバキア人など)、南スラブ族(セルビア人・クロアチア人・ブルガリア人など)に大別される。人口約二億五〇〇〇万人でヨーロッパ最大の民族(「大辞泉」に拠る)。]
母待つと鋪道に立てる混血兒(あひのこ)の眼(め)ぬち哀しも羚羊(かもしか)に似て
[やぶちゃん注:「ぬち」連語。格助詞「の」+名詞「内(うち)」の付いた「のうち」の音変化。~の内。]
メリケンの水夫ジン飮み鼻歌に歌ひけらくは“Shall we dance?”
[やぶちゃん注:「Shall we dance?」は一九三七年のアメリカ映画「Shall We Dance」(監督マーク・サンドリッチ・主演フレッド・アステア。邦題は「踊らん哉」)のタイトル・ソング。アイラ&ジョージ・ガーシュウィン作曲。戦後の「大様と私」で知られた例の曲とは別物。こちらでアステアの超絶ステップとともに聴ける。]
灰色の午後の鋪道にひさかたの亞米利加びとは口笛吹くも
ヤンキーかはたジョン・ブルか揉上(もみあげ)の長き男がタクシーを呼ぶ
[やぶちゃん注:「ヤンキー」“Yankee”は米国人の俗称。元来は米国南部で北部諸州の住民を軽蔑的に呼んだ語。「ジョン・ブル」“John Bull”は典型的な英国人を指す渾名。十八世紀の英国の作家アーバスノット作の寓話「ジョンブル物語」に由来(孰れも「大辞泉」に拠る)。]
秋風に白きスカーフ靡かせて口笛(うそ)吹き行くは何國(いづくに)の兄ぞ
空碧きシシリア人(びと)にこそあらめジョヴィネッツァ歌ひ秋の街行く
[やぶちゃん注:「ジョヴィネッツァ」“Giovinezza”はムッソリーニ率いるイタリア・ファシスト党党歌「ジョヴィネッツァ」で「青春」「若人」といった意。歌詞は一九二四年に附いた。但し、原曲はジュゼッペ・ブラン作曲で一九〇九年に発表された「別れの歌」(Commiato)という学生歌で当初は政治的な意図はなかった(参照させて戴いた辻田真佐憲氏のサイト「西洋軍歌蒐集館」(「イタリア」→「ジョヴィネッツァ(青春)」)に音源と歌詞及び成立経緯などの詳しいデータが載る。必見のサイト!)]
秋の風いたくな吹きそ若き日の聖クララがうけ歩みする (若き尼僧は天主教の黑衣を纏へり)
[やぶちゃん注:「聖クララ」イタリアの聖人アッシジのキアラ(Santa Chiara d'Assisi 一一九四年~一二五三年)。ローマ・カトリック、聖公会、ルーテル教会で崇敬される。英語名のクレア(Clare)またはクララ(Clara)の名前でも知られる。聖フランチェスコに最初に帰依した者の一人でフランチェスコ会の女子修道会クララ会(キアラ会とも)の創始者。目や眼病の守護聖人で象徴とする聖体顕示台・聖体容器箱・ランプを持つ姿で描かれる。祝日は八月十一日。彼女の遺体は永遠に腐敗しないとされ、骨格は完全な状態に保存されてアッシジの教会内に公開されている(ウィキの「アッシジのキアラ」に拠る)。「うけ歩み」この語は、本来、古語で花魁などの道中の際の歩き方、上体を反らしてゆっくりと歩む、あの歩き方を指す語である。敦の確信犯的用法であろう。]
さにづらふ英吉利未通女(をとめ)たまぼこの道角にしてテリア抱ける
[やぶちゃん注:「たまぼこの」「道」の枕詞。「たまぼこ」(古くは清音「たまほこ」)の原義は上代語で「美しい桙(鉾・矛)」の意であるが、「たまほこの」が「矛の身(み)」を連想させ、その「み」から「道」の意に転じて、「道」や「里」(道が続く先)の枕詞となった(角川新版「古語辞典」に拠る)。]
カラマゾフの作者に似たる病禿(やみはげ)のエアデル・テリア尿するなる
[やぶちゃん注:「エアデル・テリア」エアデール・テリア(Airedale Terrier)。イギリスのヨークシャーにあるエア渓谷(エアデール)を発祥とするテリア種の犬。参照したウィキの「エアデール・テリア」によれば、『多くのテリアと同様に、エアデール・テリアには皮膚炎になりやすい傾向がある。アレルギーや栄養バランスの悪い食事、甲状腺の生産過剰や不足は、皮膚の健康状態に大きな影響を与える』とある。「尿」は「すばり」と訓じていよう。]
うれたしや醜(しこ)の痩犬吠立つるわれもの思(も)ふと巷を行けば
赤髭の神父咳(しはぶ)き過ぎ給ふ異國の秋は風寒からめ
日本語のたどたどしさも宜しけれ赤髯の神父黑パンを買ふ
[やぶちゃん注:「たどたどしさ」の繰り返しの「たど」は底本では踊り字「〱」。]
加特力(カトリツク)の我は信者にあらねどもかの赤髯をよろしと思ふ
あさもよし喜久屋のネオンともりけり山手は霧とけぶれるらしも
[やぶちゃん注:「喜久屋」元町に現在も営業する洋菓子店。大正十三(一九二四)年創業。初代店主は石橋豊吉(「横浜のれん会」の記載によれば、日本郵船ヨーロッパ航路伏見丸にベーカーとして乗り組んで何度も欧州をまわった人物とある)。公式サイトによれば、『ある日スイス婦人がレシピを持ち込んで、ヨーロッパ仕込みのケーキ職人だつた先代にケーキを焼いて欲しいと頼みました』。『婦人が大変満足する品が出来上がると、そのことが山手で評判になり、次々と各国のケーキレシピが集まってきて、喜久家はどこの店よりも早くヨーロッパのケーキを作ることが出来ました』。『居留地のたくさんの婦人達が教えてくれた洋菓子の味を大切に、喜久家は今日も素敵な味を皆さまにお届けします』とある。公式サイトはこちら。]
元街の燈ともし頃を人待つと秋の狹霧に乙女立濡る
夕されば海ぞ霧(き)らへる泊(とまり)する汽船(ふね)の汽笛のとよもし聞こゆ
[やぶちゃん注:「とよもす」「響もす」(他動詞サ行四活用)は「響(とよ)む」(他動詞マ行下二段活用)に同じ。鳴り響かせる、の意。]
舶來のソオセエヂ屋の窓碍子今朝は曇りぬ冬きたるらし
帽赤き軍艦ビケの水兵が昨日(きぞ)出航(た)ちたりと君は聞きつや
[やぶちゃん注:「軍艦ビケ」不詳。「帽赤き」とあるからソ連の軍艦名か? 識者の御教授を乞う。]
混血兄(あひのこ)が自轉車に乘りバナナ喰ふ聖ジョセフに行くにかあらむ
[やぶちゃん注:「聖ジョセフ」セント・ジョセフ・カレッジ(Saint Joseph College)。かつて神奈川県横浜市に存在したインターナショナル・スクール。明治三四(一九〇一)年にカトリック教会マリア会によって幼稚園から高校までを備えた英語教育主体のインターナショナル・スクールとして横浜市山手町に開校された。平成一二(二〇〇〇)年、経営悪化によって廃校となった(ウィキの「セント・ジョセフ・インターナショナル・カレッジ」に拠った)。]
この夕(ゆふ)べ時雨過ぎつゝ鋪道(しきみち)に初冬の燈の寫(うつ)り宜しも
天霧(あまぎ)らし時雨降り來(く)と元街のスレート屋根ははやも濡れつゝ
時雨(しぐ)るゝに傘(かさ)購(もと)めんと寄る店は明治六年店開きける (中坪洋傘店の看板に明治六年創業とあり)
[やぶちゃん注:現存しない(幾つかの記載に「中坪洋傘店跡」とある)。横浜市中区役所公式サイトの「第一五八回 ハイカラな街、元町」(同刊行物『歴史の散歩道』二〇一二年九月号掲載)の画像に傘の看板を出した同店が見える。]
朝毎にヴィヴィアンの店過ぎつれどマダム・ヴィヴィアン未だ見なくに
ヴィヴィアンの店の飾人形(マヌカン)冬立てはうそ寒しもよ衣裳(ころも)換へずて
飾人形(マヌカン)の鼻のわきへのうす埃何か寂しも曇り日の午後は
仄靑き陰翳(かげ)飾人形(マヌカン)にさす如し雨近き午後の硝子透して
[やぶちゃん注:「ヴィヴィアン」洋品店らしいが不詳。この手の守備範囲外の探索は私の最も苦手とするところである。またしても最後に識者の御教授を乞うものである。]