栂尾明恵上人伝記 56 三毒(睡眠・雑念・座禅姿勢不正)を除いて一切の欲望を捨て「役立たずの者」になって生涯を終えれば禅定出来る
後鳥羽院、上人の德を貴び給ひて、常に御請ありて御受戒又法文なんど聞食(きこしめ)されけり。大方其の比の月卿雲客(げつけいうんかく)は又緣に隨ひ歸依貴敬(きえききゃう)し給ひけり。
建仁寺開山の弟子に圓空上座と云ふ僧、隨分志深くして道行を修する聞えあり。禪定を修すべき樣を彼の長老に間ひ申したりければ、梅尾の上人禪定を修すること功積(こうつも)り、已に成就し給へり。其に行きて問ひ奉りて、其の如くに修すべしと仰せありけり。然る間上座、上人に相(あ)ひ奉り、禪定修すべき樣を尋ね申されければ、上人答へて云はく禪定を修するに三の大毒あり。是を除かざれば、只身心を勞して年を經るとも成就し難しと仰ありけり。其の大毒何(いづ)れぞやと尋ね申されければ、一には睡眠、二には雜念、三には坐相不正(ざさうふせい)なりと云々。是を除きて一切求むる心を捨てゝ、只無所得(むしよとく)の心ばかりを提(ひつさ)げて、私に兎角あてがふ事無く、徒者(いたづらもの)に成りかへりて、生々世々に終へんと云ふ永き志を立て給ふべし。私の望み心、穴賢(あなかしこ)、持ち給ふべからず。只、此の法師が申すこと、樣(やう)こそあらめと思ひ給ふべし。是は高辨が私に申すにあらず、先年紀州苅磨(かるも)の島にありし時、空中に文殊大士現じて予に示し給ひしまゝに申すなり。今の世には、此の如くあてがふ人なきにや、末世末法の邊土(へんど)の恨み此の事にありと云々。
[やぶちゃん注:「是を除きて一切求むる心を捨てゝ、只無所得の心ばかりを提げて、私に兎角あてがふ事無く、徒者に成りかへりて、生々世々に終へんと云ふ永き志を立て給ふべし。佛に成りても何かせん、道を成じても何かせんと思ひ給ふべし。」の後に岩波版では『佛に成りても何かせん、道を成じても何かせんと思ひ給ふべし。』という一文が入っており、これは中々にインパクトがある。
「苅磨(かるも)」諸本は「かるま」と振る。]