チビの歌 十八首 中島敦
チビの歌
[やぶちゃん注:昭和八(一九三三)年四月二十八日生まれの長男桓(たけし)。本歌稿の成立時期は昭和一二(一九三七)年前後であるから、四歳前後である。]
明方をわが床(とこ)に來てもそくさとチビが這ひ込むくすぐつたさよ
[やぶちゃん注:太字「もそくさ」は底本では傍点「ヽ」。]
わが父ゆわれの傳へし寢坊(ねぼう)なればチビも嗣ぎけむ今朝も未(ま)だ起きず
我はパイプ チビはパチンコ日曜の朝をし行けば海見えきたる
冬の夜の風呂より出でて裸童子(はだかどうじ)叫(をら)び跳ぬるよ拭(ふ)きもあへなくに
[やぶちゃん注:「叫(をら)び」正しくは「おらび」。「おらぶ」は「哭ぶ」で、悲しみのあまり泣き叫ぶ、どなるの意。この場合は、単に騒ぎ喚くの謂いであろう。]
家内(いへぬち)を裸童子がはね狂ふ大き林檎を丸嚙じりつゝ
昨日(きぞ)の夜の寢小便(しくじり)をいへば照(て)れゐしがやがて猛然とうちかゝりくる
[やぶちゃん注:上手いルビである。]
子の唱(うた)ふ軍歌宜しも我が兵は天に代りて釘を打つとよ
叱らでも濟みけるものを後向(うしろむ)きてべそかきをらむチビ助よ許せ
何しかも吾(あ)は叱りけむ今にして親のエゴイズムをしみじみと思ふ
[やぶちゃん注:「しみじみ」の後半は底本では踊り字「〲」。]
オドオドと思ひ惑へるチビ見れば夫廚喧嘩はすまじきものか
[やぶちゃん注:「オドオド」の後半は底本では踊り字「〱」。]
教育の方針なんぞあらねどもヷルガァにだけはならざれと思ふ
[やぶちゃん注:「ヷルガァ」英語の“vulgar”か。これには悪い意味で、えげつない・下等な・下卑た・下劣な・世俗的な・粗野な・俗っぽい・低級な・低俗・卑しい・卑俗な・野卑なという意味がある。発音を敢えて示すと「ヴァルガァ」で近い。もとは同義のラテン語“vulgus”(賤民)→“vulgaris”(卑俗な)由来で、敦はラテン語も学んでいたからラテン語のつもりかも知れない。]
ガリヴァは如何になるらむと案じつゝチビは寢入りぬ仔熊をだきて
枕もとにちらばれるものラムネ玉「コドモノクニ」に赤き熊の仔
わが語るサンタ・クロスの物語信じ難げのチビが眼付や
クリスマス近づきにつゝしかすがにわが二十代逝かまく惜しも
[やぶちゃん注:「しかすがに」然すがに。副詞「然(しか)」+動詞「為(す)」+助詞「がに」で、そうは言うものの、の意。万葉以来の上代語。底本では「近づき」の右にアスタリスクが附され、一首の下に『*チビは待ちつゝ』とあるから、この歌には、
クリスマスチビは待ちつゝしかすがにわが二十代逝かまく惜しも
という別案が示されているらしい。]
わが性質(さが)を吾子(あこ)に見出でて心暗し心暗けどいとしかりけり
新しき自動車を見て買へといふ玩具(おもちや)のでさへも買へぬこの父に
ストーヴの火も燃えいでぬいざ共に「ザムボーと虎」の話を讀まな
[やぶちゃん注:「ザムボーと虎」は昭和六(一九三七)年刊の『コドモノクニ』に載った「ザンボート虎」かと思われる。……私たちには私たちの遠き日の思い出の「ちびくろサンボ」が、必ず、虎のバターの絵と一緒にいる……。悲しい一斉絶版の経緯などはウィキの「ちびくろサンボ」をお読み戴きたい。]

