漠然たる情熱 萩原朔太郎
●漠然たる情熱
しばしば人は、人生の漠然たる情熱を感じてゐる。たとへば秋の落葉する木立の中や、都會のさびしい裏町やを歩いてゐるとき、或は落日に影をひいて、高い陸橋の上を渡つて行くとき、或は海にきて大洋の響を聞いたり、或は春の艷めかしい夜に、窓もれる花樹の香はしい匂ひを嗅いだりするとき。
いかにしても我々は、かかる情操のふしぎな思ひを語り得ない。なぜならばその思ひは、一の漠然たる氣分であつて、思惟の對象すべき觀念を持たないから。しかしながら人々は、それの強き熱情に溺れてしまふ。そして我々自身が、人生の中へ溶けこんで行き、霧の深い密度に吸ひ込まれるのを感じてくる。何がなし、我々は興奮してくる。すべてが意味深く感じられ、感覺する世界の向うに、盡きない神祕の人生があるやうに思はれる。
かく我々の結婚が、丁度漠然たる情熱からされるのである。
[やぶちゃん注:昭和四(一九二九)年十月第一書房刊「虛妄の正義」の「結婚と女性」より。]
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