栂尾明恵上人伝記 60 異形の者の笠置の解脱上人を訪なふ語(こと)
或る時、上人仰せられき。さる比、笠置(かさぎ)の解脱上人來臨して、法談の次に語りて云はく、或る夜、夢にみる事あり。秋の夜の明に晴たる心地して、人あまた來る音にて、草庵の窓を叩き頻に謁(えつ)せんことを望む。仍て扉(とびら)を開いて出で向ふに、異類異形(いるゐいぎやう)の者共其の數あり。其の中にさるべき仁(じん)と覺しくて、雪(ゆき)頭(かしら)を埋(うづ)み霜(しも)眉(まゆ)を覆ひたる老僧、香染の衣の樣なる物を上に着て、面貌(めんめう)ことがら此の世の人とも覺えぬ樣したる體(てい)にて、進みよりて語りて云はく、定めて聞き及び給ふらん、我は是、當初(そのかみ)何某(なにがし)と云ひし者なり、佛法に於ては隨分行學(ぎやうがく)年(とし)積(つも)りて、深理(じんり)を究めたる由を存じき。されば其の比天下に肩を並ぶる輩無かりき。皆是れ世の知る處なり。然るに只此の大乘の本源を究めん事を先として、強(あながち)に波羅提木叉(はらだいもくしや)を專にすることなかりき。仍て破戒穢戒(はかいゑかい)の事のみ交りき。之に依りて大乘の深理を究めたりと雖も、人間一生の中には解行(げぎやう)相應せず。先づ破戒の罪の方(はう)重きに依りて魔道に入れり。古より天竺・晨旦(しんたん)・本朝、世界々々に名を得たる貴僧高僧達、此の戒力なき人、一劫(こふ)二劫乃至三四劫魔道に落ちたる類勝げて計るべからず。此の魔道の習ひ落ちと落ちては急度(きつと)免れ出づること難し。我は二劫に此の業(ごふ)を果(はた)すべきなり。入滅の後、人間の五百餘年に及べば、遙かに久しき心地し給ふらん、されども其の五六百年を萬億重ねても、猶其の一劫にも及ぶべからず。况んや二劫を過ぐべき末を思ふに端(あぢき)なき作法なり。毘婆尸佛(びばしぶつ)・狗留孫佛(くるそんぶつ)なんどの時、此の道に落ちたる僧共だに、猶行末遙(はるか)にてつゞき居たり。されば、其の深理を悟りて軈(やが)て其の任に相應してだにあらば、かゝる難はあるまじけれども、さる機は佛在世にだに希なることなり。まして滅後の比丘に有りがたし。多くは甚深の妙義を悟ると云へども、行は成し難く命は終へ易し。仍て人間一生の中に相應することなければ、先づ破戒無慙(むざん)の罪に引かれて魔道に入るなり。魔道に入りぬれば速に浮かぶことなければ、多劫の間人天に出でて衆生利益の方便をも失ひ、自身所受の苦患(くげん)をも救ふことなし。是れ世尊の掟(おきて)にも叶はず菩薩の願をも失へり。されば、大乘修行の輩戒門(かいもん)を次(つぎ)にすることなかれ。何(いか)にも何(いか)にも習ひ勵むべし。仍て佛の遺教(ゆゐきやう)にも此の戒に依因(よりよ)りて諸の禪定及び滅苦(めつく)の智惠を生ずることを得、是の故に比丘當に淨戒を持つべし。又云はく、若し淨戒なければ諸善功德(しよぜんくどく)皆生ずることを得ず。又云はく我が滅後に於いて當に波羅提木叉を尊重し珍敬(ちんぎやう)すべし。此は則ち是れ汝が大師なり、若し我れ世に住するとも此に異なることなけんと云云。然るに中古より已來人の機(き)劣(れつ)にして心拙(つたな)く、戒を守ること疎(おろそか)なり。仍てさしも世に崇敬(そうきやう)せられし僧侶、多く此の道に入るなり。我等大乘の甚深(じんじん)第一義を明らめしに依りて、此の業をつくのひはてゝは佛果を證すべしと雖も、多劫の間徒に苦患にのみ沈みて過ぎ行くこと、偏に戒力の闕(か)けたるに依れり。今見るに末世なりと雖も道を修する志深切なる類共あり。此の謬(あやま)りを人間に普(あまね)く示し知らしめたくて、此の庵室に列參(れつさん)せり。後學に傳へ、禁(いまし)め給ふべしとて、是は某、彼は何がしといふを聞くに、古皆名を得たりし僧侶達なり。今は既に佛果にも至りぬらんと思ひし人達の、何(いか)にしてかく成り給ひぬらんと不思議に覺えて、さて何なる御苦しみ共か候と問ひ侍りしかば、或は諸の異類の者來りて、身の肉を食ひ命を奪ふ。其の苦みに堪へずして絶え入りて、暫くありて生るれば又異類現じて、頭(づ)・目(もく)・髓・腦(なう)・手(しゆ)・足(そく)を切り取る時もあり。或時は猛火現じて全身を燒く。是れ則ち殺(せつ)・盜(たう)・婬(いん)の果(はた)す處なり。或は黑白の二鬼(き)現じて、鐵の箸(はし)を以て舌をぬき、或は熱鐵輪(ねつてつりん)を飮ましめて遍身(へんしん)焦(たゞ)れて炭の如くなる時もあり。是れ妄語し又は飮酒(おんじゆ)非時食(ひじじき)の果す處なり。此の如き苦み一日に三度五度、人に隨ひ時に依て樣々替るなりと云ひて、書(かき)消すやうに失せぬと見き。此の事を思ふに是れ實語(じつご)なり。尤も愼むべきことなり。我が朝に鑒眞和尚(がんじんわしやう)唐土より渡り給ひて、專ら此の波羅提木叉を弘(ひろ)め給ひしかば、其の比(ころ)頭(かうべ)をそれる類是を守らずと云ふことなし。面々(めんめん)其の上に宗々をも學(がく)しけれども、今は年を逐ひ日に隨ひてすたれはてゝ、袈裟(けさ)衣(ころも)より始めて跡形(あとかた)もなくなれり。適(たまたま)諸宗を學する者あれども、戒をしれる輩はなし。况や又受持(じゆぢ)する類なし。何を以てか人身を失はざる要路(えうろ)とせん。今は婬酒を犯さゞる法師も希に、五辛(ごしん)・非時食を斷てる僧もなし。此の如く不當不善の振舞を以て、法理を極めたりと云ふとも、魔道に入りなば人天の益もなく。自身の苦をも免れずして、多劫の間徒に送らんこと返す返すも損なるべし。如何にしてか古のまゝに戒門を興行(こうぎやう)すべき方便を廻らさんとぞ申されし。大きに其の謂れありとぞ語り給ひし。
[やぶちゃん注:「解脱上人」法相宗の僧貞慶(じょうけい)。既注済み。
「香染」丁子(ちょうじ)を濃く煎じた汁で染めたもの。黄色味を帯びた薄茶色。それよりもやや濃いものは丁子染めという。
「波羅提木叉」梵語“prātimokṣa”(プラーティモークサ)パーリ語“pātimokkha”(パーティモッカ)の漢訳語で比丘・比丘尼が順守しなくてはならない僧伽(僧集団)内の具足戒(禁則及び規則)及びそれを記した戒本(典籍)。
「一劫」四三億二〇〇〇万年。
「毘婆尸佛」釈迦仏までに(釈迦を含めて)登場した七人の仏陀をいう過去七仏(かこしちぶつ)の一人。最も古の仏陀。古い順に毘婆尸仏・尸棄仏(しきぶつ)・毘舎浮仏(びしゃふぶつ)・倶留孫仏(くるそんぶつ)・倶那含牟尼仏(くなごにぶつ)・迦葉仏(かしょうぶつ)・釈迦仏。
「狗留孫佛」同じく過去七仏の倶留孫仏のこと。]