日本その日その日 E.S.モース(石川欣一訳) 第八章 東京に於る生活 2 モースの江の島讃歌 附 英語で「犬」は「カメ」
今、江ノ島に別れを告げて来て見ると、あすこに滞在した期限は、矢のように疾く過ぎたものである。私は六週間、あの小さな家がゴチャゴチャかたまった所で暮した。人々は過労し、朝六時から真夜中まで働き、押しよせる巡礼――時々外国人も来るが、すべて日本人――を一晩泊めるために、とても手にあまる程に沢山の仕事を持っている。訪れる人々は一日に四度も五度も、食事を要求するらしく思われ、絶間なくお茶や、煙草の火や、熱い酒やその他を求める。いろいろな年齢の子供達が、いたる所にかたまっていた。が、私は最も彼等に近く住んでいたにもかかわらず、滞在中に、只の一度も意地の悪い言葉を耳にしたことがない。赤坊は泣くが、母親達はそれに対して笑う丈で、本当に苦しがっている時には、同情深くお腹を撫でてやる。誰もが気持のいい微笑で私をむかえた。私は吠え立てる犬を、たった一本の往来で追いかけ、時に石を投げつけたりしたが、彼等は私のこの行為を、異国の野蛮人の偏屈さとして、悪気なく眺め、そして笑った丈である。親切で、よく世話をし、丁重で、もてなし振りよく、食物も時間も大まかに与え、最後の飯の一杯さえも分け合い、我々が何をする時――採集する時、舟を引張り上げる時、その他何でも――にでも、人力車夫や漁師達は手助けの手をよろこんで「貸す」というよりも、いくらでも「与える」……これを我々は異教徒というのである。
[やぶちゃん注:モースの江の島讃歌である。何か、とても快い海風のようではないか……]
犬といえば、犬の名前を聞くと“Kumhere”だと返事をされる。これが犬の日本語だと思う人も多いが、この名は犬を呼ぶのに“Come here!”“Come here!”という英国人や米国人の真似をしたので、ここらにいる日本人はこれを犬の英語だと思っている。Dog は日本語では「イヌ」である。
[やぶちゃん注:これはかなり有名な話で、「大辞泉」にも「カメ」の見出しで『西洋犬のこと。明治初期、西洋人が飼い犬を呼ぶのに「Come here!」と言うのを「カメヤ」と聞き、「カメ」を犬の意、「ヤ」を呼びかけの意の「や」ととったことによる。』とある。]
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