聘珍樓雅懷 十四首 中島敦
聘珍樓雅懷
冬の夜の聘珍と聞けば大丈夫 と思へる我も心動きつ
國つ仇と懲し伐つとふ國なれど唐 の料理の憎からなくに
うましもの唐の料理はむらぎもの心のどかに食ふべかりけり
白く濃き唐黍 スウプ湯氣立ちてあら旨げやなうす謄うく
白く漉き唐黍スウプするすると吸 へば心も和 みけらずや
[やぶちゃん注:「するする」の後半は底本では踊り字「〱」。]
家鴨 の若鳥の腿の肉ならむ舌にとけ行くやはらかさはも
大き盤に濛々として湯氣 立つ何の湯 (スウプ)ぞもいざ味見 せん
[やぶちゃん注:特異な表記法。音数律から湯は「タン」と読ませ、丸括弧本文ポイント表記の「スウプ」は視覚的解説である。]
肉白き蟹の卷揚 味輕 くうましうましとわが食 しにけり
[やぶちゃん注:「うましうまし」の後半は底本では踊り字「〱」。]
かの國の大人 のごとおほらけく食 すべきものぞ紅燒鯉魚 は
[やぶちゃん注:「紅燒鯉魚」広東料理の定番である鯉の葱と生姜の鯉丸一尾の醤油煮。言わば筒切りにしない鯉濃 であるが、以下の歌でも分るように甘酢餡かけで食べる。]
甘く酸き匂に堪へで箸とりぬ今宵の鯉の大いなるかな
甘酸かけて食ひもて行けば大き鯉はやあらずけり未だ饜 かなくに
[やぶちゃん注:「饜」は満腹するの意。]
冬の夜の羊肉 の匂ふとかげば北京のみやこ思ほゆるかも
いさゝかに賤 しとは思 へどなかなかに棄てがたきものか酸豚の味も
みんなみの海に荒ぶる鱶の鰭に逢はで久しく年をへにけり
[やぶちゃん注:「聘珍樓」「へいちんろう」と読む。横浜中華街にある創業明治一七(一八八四)年の日本最古の中国料理屋号を持つ老舗広東料理店。一首目に関わって述べておくと、「聘」は迎えるところの、「珍」は尊ぶところの心の意であるが、別に「聘」には賢者を招いて用いるの意、「珍」には貴重・高貴の謂いがあることから「良き人・素晴らしき人の集まり来たる館」の謂いも含む(ウィキの「聘珍樓」を一部参考にした。]
冬の夜の聘珍と聞けば
國つ仇と懲し伐つとふ國なれど
うましもの唐の料理はむらぎもの心のどかに食ふべかりけり
白く濃き
白く漉き唐黍スウプするすると
[やぶちゃん注:「するする」の後半は底本では踊り字「〱」。]
大き盤に濛々として
[やぶちゃん注:特異な表記法。音数律から湯は「タン」と読ませ、丸括弧本文ポイント表記の「スウプ」は視覚的解説である。]
肉白き蟹の
[やぶちゃん注:「うましうまし」の後半は底本では踊り字「〱」。]
かの國の
[やぶちゃん注:「紅燒鯉魚」広東料理の定番である鯉の葱と生姜の鯉丸一尾の醤油煮。言わば筒切りにしない
甘く酸き匂に堪へで箸とりぬ今宵の鯉の大いなるかな
甘酸かけて食ひもて行けば大き鯉はやあらずけり未だ
[やぶちゃん注:「饜」は満腹するの意。]
冬の夜の
いさゝかに
みんなみの海に荒ぶる鱶の鰭に逢はで久しく年をへにけり
[やぶちゃん注:「聘珍樓」「へいちんろう」と読む。横浜中華街にある創業明治一七(一八八四)年の日本最古の中国料理屋号を持つ老舗広東料理店。一首目に関わって述べておくと、「聘」は迎えるところの、「珍」は尊ぶところの心の意であるが、別に「聘」には賢者を招いて用いるの意、「珍」には貴重・高貴の謂いがあることから「良き人・素晴らしき人の集まり来たる館」の謂いも含む(ウィキの「聘珍樓」を一部参考にした。]