猫の死骸 萩原朔太郎 (初出形 附 改稿3種)
猫の死骸
海綿(かいめん)のやうな景色(けしき)のなかで
しつとりと水氣(すゐき)にふくらんでゐる。
どこにも人畜(じんちく)のすがたは見えず
へんにかなしげなる水車(すゐしや)が泣(な)いてゐるやうす。
さうして朦朧(もうろ)とした柳(やなぎ)のかげから
やさしい待(まち)びとのすがたが見(み)えるよ。
うすい肩(かた)かけにからだをつつみ
びれいな瓦斯體(がすたい)の衣裳をひきづり
しづかに心靈(しんれい)のやうにさまよつてゐる
ああ 浦(うら) さびしい女(をんな)!
「あなた いつも遲いのね」
ぼくらは過去(くわこ)もない未來(みらい)もない
さうして現實のものから消(き)えてしまつた。……
浦(うら)!
このへんてこに見(み)える景色(けしき)のなかへ
泥猫(どろねこ)の死骸(しがい)を埋(うづ)めておやりよ
[やぶちゃん注:『女性改造』第三巻第八号・大正一三(一九二四)年八月号に掲載された。「ひきづり」はママ。太字「現實のもの」は底本では傍点「●」。但し、「うすい肩(かた)かけにからだをつつみ」は底本では「うすい肩(かた)かけるからだをつつみ」であるのは、後の採録版から誤植として訂した。後に第一書房版「萩原朔太郎詩集」(昭和三(一九二八)年三月刊)及び「定本靑猫」(昭和一一(一九三六)年版畫莊刊)などに、先に示した「沼澤地方」に一緒に連続して所収された(この詩が先)が、真の最終形はやはり「宿命」(昭和一四(一九二九)年創元社刊)である。初出公開に半年ほどの差があるが(こちらが早い)「沼澤地方」と同じ「浦」という女性が登場する。以下三種をすべて示す(「宿命」版は底本の校異によって推定復元した)。
*
【第一書房「萩原朔太郎詩集」版】
猫の死骸
海綿のやうな景色のなかで
しつとりと水氣にふくらんでゐる。
どこにも人畜のすがたは見えず
へんにかなしげなる水車が泣いてゐるやうす。
さうして朦朧とした柳のかげから
やさしい待びとのすがたが見えるよ。
うすい肩かけにからだをつつみ
びれいな瓦斯體の衣裳をひきずり
しづかに心靈のやうにさまよつてゐる。
ああ浦 さびしい女!
「あなた いつも遲いのね」
ぼくらは過去もない 未來もない
さうして現實のものから消えてしまつた……
浦!
このへんてこに見える景色のなかへ
泥猫の死骸を埋めておやりよ。
*
太字「現實のもの」は底本では傍点「●」。
*
【「定本靑猫」版】
猫の死骸
ula と呼べる女に
海綿のやうな景色のなかで
しつとりと水氣にふくらんでゐる。
どこにも人畜のすがたは見えず
へんにかなしげなる水車が泣いてゐるやうす。
さうして朦朧とした柳のかげから
やさしい待びとのすがたが見えるよ。
うすい肩かけにからだをつつみ
びれいな瓦斯體の衣裳をひきずり
しづかに心靈のやうにさまよつてゐる。
ああ浦 さびしい女!
「あなた いつも遲いのねえ。」
ぼくらは過去もない 未來もない
さうして現實のものから消えてしまつた…………
浦!
このへんてこに見える景色のなかへ
泥猫の死骸を埋めておやりよ。
*
「現實のものから」には傍点がない。
*
【「宿命」版】
猫の死骸
Ula と呼べる女に
海綿(かいめん)のやうな景色のなかで
しつとりと水氣にふくらんでゐる。
どこにも人畜のすがたは見えず
へんにかなしげなる水車が泣いてゐるやうす。
さうして朦朧とした柳のかげから
やさしい待びとのすがたが見えるよ。
うすい肩かけにからだをつつみ
びれいな瓦斯體の衣裳をひきずり
しづかに心靈のやうにさまよつてゐる。
ああ浦(うら) さびしい女!
「あなた いつも遲いのねえ!」
ぼくらは過去もない未來もない
さうして現實のものから消えて了つた……
浦!
このへんてこに見える景色のなかへ
泥猫の死骸を埋めておやりよ。
*
太字「現實のもの」は底本では傍点「◎」。微細な違いながら、私は今や目に触れることが滅多にない「宿命」版こそが、本詩のベストであると思うのである。]
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