五月雨や蠶わづらふ桑畑 芭蕉 萩原朔太郎 (評釈)
五月雨や蠶わづらふ桑畑
暗膽とした空の下で、蠶が病んで居るのである。空氣は梅雨で重たくしめり、地上は一面の桑畑である。この句には或る象徴的な、沈痛な深い意味を持つた暗示がある。「古池や」の句などより、むしろかうした句の方が哲學的で、芭蕉の象徴的な詩境を代表するものだと思ふ。
[やぶちゃん注:『コギト』第四十二号・昭和一〇(一九三五)年十一月号に掲載された「芭蕉私見」の中の評釈の一つ。「暗膽」はママ。昭和一一(一九三六)年第一書房刊「郷愁の詩人與謝蕪村」の巻末に配された「附錄 芭蕉私見」では、
暗澹とした空の下で、蚕が病んで居るのである。空氣は梅雨で重たくしめり、地上は一面の桑畑である。この句には或る象徴的な、沈痛で暗い宿命的の意味を持つた暗示がある。
初出の末尾の主張をこそ、私は残して貰いたかったと感ずるものである。元禄七(一六九四)年、芭蕉五十一歳の時の句。]
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