日本その日その日 E.S.モース(石川欣一訳) 第七章 江ノ島に於る採集 22 皇居 / 東京大学の研究室の下見
今日、人を訪問する途中、私は東京市中の、私にとっては新しい区域を通って非常に愉快であった。それは実に絵みたいな場所で、大きな石垣と広い掘とがあった。平坦な道路を人力車で通り、文字通り苔に蓋われた石垣が攣曲した傾斜で四十フィートの高さに達し、その上には松その他の巨木が、まるでメイン州の森林のまん中に於るが如く、瘤(こぶ)だらけな枝を四方に張って、野生そのままに自由に成長している景色が遠か続くのを見ることは、誠に興味が深い。ここかしこ、この縁を取る森林の間、或は石垣の角に、巨大な屋根を持つ古風な日本建築が見えた。これ等は赤か黒かで塗ってあったが、多分過去に於て兵営に使用したものであろう。石垣の下の堀には、蓮が実に美事に生えていた。繁茂しているので水が見えず、直径一フィートの淡紅色の花と美しい葉とは、水から抽(ぬきん)でたり、水面に浮んだりしていた。また蓮の生えていない場所もあったが、それには石垣や木影がうつって素晴しい光景を見せていた。我々は変った橋をいくつか渡り、最も特徴のある門構えをいくつか通った。この驚くべき景色は何マイルも続いた。
[やぶちゃん注:お堀りに蓮の花が美しく咲く皇居の描写である。
「四十フィート」約12メートル強。やや少なめな感じがするが水位にもよるし、蓮が繁茂しているので、見かけ上は穏当なところであろうか。因みに天守台のすぐ北にある北詰橋附近が最も高く、水面から約21メートルとネット上の記載にはある。]
こんな風に気持よく人力事を走らせた後、大学へ行って見ると、当局者が私の仕事に便利な部星を、いくつか割当てておいて呉れた。博物館と講義室とにする大きな部屋が二つと、構内の別の場所に、実験室にする長い部屋が三つとってあった。七月分の月給を払うのに、私の契約書が七月十二日から始っているので、彼等は端銭を払ったばかりでなく、小さな銅貨を六つ呉れて、一セントの十分の六まで払った。彼等は如何なる計算も、一セントを十分の何々にした所まで勘定するとのことで、私は受取書にその価格まで書かねばならなかった。自分自身が、一セントの端数のことでゴチャゴチャやっているのに気がつくと、妙な気持がする。これは他の人達も同じ経験をしたと白状している。端銭(チェンジ)、即ち書付け以上の金額を払った者が受取る銭は、「ツリ」というが、この語は同時に魚を捕えること、即ち魚釣を意味する。
[やぶちゃん注:先に示したように、これは教育博物館(国立科学博物館の前身)の開館式のあった八月十八日や、モースが東京上野で開かれた第一回内国勧業博覧会開会式に出席した同月二十一日前後である。]
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