明恵上人夢記 20
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同十六日、京に出づ。其の夜、丹波殿に對面すと云々。
一、對面之時、幻相(げんさう)を見ると云々。其の夜、子丑の時許り、宿處に還りて臥す。夢に云はく、一聚(ひとむら)の竹林に對(むか)ふ。其の林の外に、二つに蛇の切れて死にたりと云々。枯死せり。心に思はく、此の竹林より鼠かいたち等の類(たぐひ)、食ひいたして之を殺すと云々。又、むさゝび我が前を過ぎて、後の木に將に到らむとす。之を立ち塞ぎて過ぐさずと云々。我、暫時立ち動くに、飛びて樹に付くと云々。石垣殿と共に也と云々。
[やぶちゃん注:「同十六日」元久二(一二〇五)年十月十六日。この前書きの事実記載は、前の「19」の夢の前に記された丹波殿関連の事実記事と関連するが、やはりその内容は不明である。
「幻相」これは仏語では、幻のように実体がなく、儚いありさま、転じて世間の無常の姿の謂いである。ただ幻覚ともとれるが、ここは一先ず、丹波殿との対面の中で、さまざまな俗世間に対する幻滅感を味わったととってみたい。それによって夢の解釈の別の地平が開けるようにも思われるからである。
「蛇」私には何故か、この蛇は、明恵の叙述にしばしば現われるところの、不吉なネガティヴな象徴のようには実は思われないのである。寧ろ、「蛇」を殺した「鼠」「いたち」そしてやはり「蛇」を殺したものの仲間である「竹林」から飛び来たる「むさゝび」こそが、ここでは明恵に対峙するところの、明恵の側の何ものかを阻害しようとするシンボルとして感じられる。竹林はそのような魔性のものの棲み家であり、そうしたなんらかの組織や体制、集団を指すまがまがしい魔界なのではないか? それに食い割かれて干からびた蛇は寧ろ、ウロボロスの環としての全的円環を無惨に断たれてしまったかに見えるところの、明恵の信ずるところの真理の象徴なのではあるまいか?
「石垣殿」底本注に『湯浅宗光は石垣兵衛とも呼ばれ、同人を指すか』とある。とすると、この京都での丹波殿との対面は伯父湯浅宗光が関連した何事かであった可能性があるのかも知れない。]
■やぶちゃん現代語訳
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同十六日、京に出る。その夜、遂に丹波殿に対面したが……。
一、対面の際、今更ながら、現世への幻滅を強く感じてしまった……。その夜遅く、子丑の刻ばかりに宿所へやっと還りついて、疲れ切ったままに臥した。その折りに見た夢。
「私は一群(ひとむら)の竹林に向かって立っている。
その竹林の外に、二つに蛇が截ち切られて死んでいるのである……。
完全に干からびて木乃伊のようになって死んでいる。
それを眺めながら私が心に思ったことは、
『この竹林より、鼠か、鼬(いたち)などの類いが飛び出して来て、さんざんに食い千切って、この蛇を殺したのだ。』
と……。
また、ムササビが私の前をさあっと飛び過ぎて、私の背後の木にまさに飛び至らんとしている。
私はこれを両手を大きく開いて大の字なりになって立ち塞いで通すまいとしている……。
暫く私が前後左右に立ち動いて防いだものの、結局、ムササビはそれをすり抜けてしまって、後ろの樹に飛び付いてしまった……。
石垣殿が私と一緒になって、そのムササビの飛翔の成就を何とか防ごうとしていたようにも記憶している……。
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