遊園地にて 萩原朔太郎 (初出形)
遊園地にて
遊園地(ルナパーク)の午後なりき
樂隊は空に轟(とゞろ)き
風船(ふうせん)は群集の上を飛び交(か)へり。
今日の日曜(にちえう)を此所に來りて
君と模擬飛行機の座席(ざせき)に乘れど
側(かた)へに思惟(しい)するものは寂しきなり。
なになれば優しき瞳(ひとみ)に
君の憂愁(いうしう)をたたえ給ふか。
見(み)よ この廻轉する機械(きかい)の向ふに
一つの地平(ちへい)は高く揚(あが)り、また傾き、沈(しづ)み行かんとす。
われ既にこれを見(み)たり
いかんぞ人生(じんせい)を展開せざらむ。
今日(こんにち)の果敢なき憂愁を捨(す)て
飛べよかし! 飛(と)べよかし!
明(あか)るき五月の外光の中(うち)
嬉(き)々たる群集(ぐんしふ)の中に混りて
二人(ふたり)模擬飛行機の座席にのれど
側(かた)へに思惟するものは寂(さび)しきなり。
[やぶちゃん注:『若草』第七巻第七号・昭和六(一九三一)年七月号に掲載された。「思惟」のルビ「しい」、「優秀をたたえ給ふか」の「え」、「廻轉」の「廻」(正字でない)はママ。後の昭和九(一九三四)年第一書房刊「氷島」に所収されるが、その際、以下のように改稿されている。
遊園地(るなぱあく)にて
遊園地(るなぱあく)の午後なりき
樂隊は空に轟き
廻る轉木馬の目まぐるしく
艶めく紅(べに)のごむ風船
群集の上を飛び行けり。
今日の日曜を此所に來りて
われら模擬飛行機の座席に乘れど
側へに思惟するものは寂しきなり。
なになれば君が瞳孔(ひとみ)に
やさしき憂愁をたたえ給ふか。
座席に肩を寄りそひて
接吻(きす)するみ手を借したまへや。
見よこの飛翔する空の向ふに
一つの地平は高く揚り また傾き 低く沈み行かんとす。
暮春に迫る落日の前
われら既にこれを見たり
いかんぞ人生を展開せざらむ。
今日の果敢なき憂愁を捨て
飛べよかし! 飛べよかし!
明るき四月の外光の中
嬉々たる群集の中に混りて
ふたり模擬飛行機の座席に乘れど
君の圓舞曲(わるつ)は遠くして
側へに思惟するものは寂しきなり。
「廻轉木馬」の「廻」は(えんにょう)の上の「回」は「囘」で正字であるが、ブログでは表示出来ない。「たたえ」の「え」はママ。
所謂、詩集「氷島」に相応しい絶対零度まで詩想を冷却しているのは、寧ろ初出のように私には感じられる。萩原朔太郎は「自作詩の改作について」で自身、改作の悪弊を語っているが、彼自身の改作もご多聞に洩れず、私は改悪されたものの方が多いという気がしている。]
« 栂尾明恵上人伝記 60 異形の者の笠置の解脱上人を訪なふ語(こと) | トップページ | 鬼城句集 夏之部 菖蒲 »