『風俗畫報』臨時増刊「江島・鵠沼・逗子・金澤名所圖會」より江の島の部 21 先哲の詩(1)
●先哲の詩
江島に關する先哲の詩は甚(はなは)た多し。今風土記藝文部に掲(かゝ)けたる者を抄出して。左に登載す。高樓醉後耳熟するの時。風濤(ふうとう)に對し欄を打て放吟せは。其快興(くわいけう)いふべからざる者あらむ。
原書苗字を略記す。蓋し當時の弊風なり。今一々改定せす。
[やぶちゃん注:以下、各詩は完全に連続して示されているが、完全に改行し、それぞれの詩の間に空行を設けた。不明な字は国立国会図書館の近代デジタルライブラリーの「相模國風土記」の「藝文部」で確認した。訓読は総て全くの我流につき、ご注意あれ。]
游江島 服元喬
妙音孤島對天居。
危木懸崖萬丈餘。
臨海斷碑秦代字。
轉沙比目越王魚。
潮來巖穴龍蛇走。
珠散風濤蜃蛤虛。
白日靑雲溟色盡。
舟乘欲問十洲墟。
[やぶちゃん注:荻生徂徠の高弟で風流人として知られた服部南郭。
游江島 服元喬
妙音 孤島 天居に對す
危木 懸崖 萬丈餘
海に臨める斷碑は これ秦代の字
沙に轉(まろ)べる比目(ひもく)は これ越王魚
潮(しほ)來たる巖穴 龍蛇の走(そう)
珠(たま)散る風濤 蜃蛤(しんがふ)の虛
白日 靑雲 溟色 盡き
舟に乘りて 十洲墟(じつしふきよ)を問はんと欲す
「海に臨める斷碑」は「江島建寺之碑」のことであろう。
「蜃蛤」蜃気楼を吐くとされた大蛤。「虚」はその幻しの意であろう。
「比目」カレイか。
「越王魚」「文選」の「呉都賦」劉逵注に「王余魚は半身の姿をしている(其身半也)。俗に越王が魚の膾(なます:細い糸づくりのサシミ。)にして食べたが、食べ尽くさぬままに、半身を残してその身を水中に棄てたという。その身が魚となったが、一面だけの姿をしていたため、その魚を「王余魚」というようになった、とある(以上は「MANAしんぶん」の狩谷棭斎校注「箋注倭名類聚抄」の「王餘魚」(当該リンクの通し番号20)を参照させて戴いた)。
「溟色」海の色。
「墟」は砂丘。砂浜海岸の景であるから鵠沼海岸辺りを指すか。江の島を満喫して船で相模湾を西に出たものであろうか。]