昔の人の夢の唄 十五首 中島敦――敦、歌舞伎を詠う
昔の人の夢の唄
遠空に富士も見ゆるぞ勘平が今おかる連れ道行のふり
[やぶちゃん注:「仮名手本忠臣蔵」四段目「判官切腹」の場と五段目「山崎街道」の場の間に挿入される所作事「道行旅路花聟(みちゆきたびじのはなむこ)」、通称「お軽勘平」。梗概はウィキの「道行旅路花聟」を参照されたい。]
格子戸の外に立ちたる頰かむり切られの與三が足の白さよ
[やぶちゃん注:世話物の名作「与話情浮名横櫛(よわなさけうきなのよこぐし)」、通称「切られ与三」「お富与三郎」「源氏店(げんやだな)」の知られたワン・シーン。梗概はウィキの「与話情浮名横櫛」を参照されたい。]
白魚のかゞり火霞む春の夜をお孃吉三の羽左が振袖
お待ちなせえ駕籠の中より吉右衞門(はりまや)の聲してお坊吉三いでくる
三人の吉三出合ひてだんまりや春の夜更を刻む析(き)の一昔
[やぶちゃん注:この三首は「三人吉三廓初買(さんにんきちさくるわのはつがい)」。梗概や舞台が日本芸術文化振興会製作になる「歌舞伎への誘い」の「三人吉三廓初買」で見られる。]
直次郎が傘(かさ)かたむけて覗きゐる雪の入谷の三千歳の寮
千日を逢はぬ心地と三千歳が嘆くなりけり春の夜寒を
宗俊が黑子(ほくろ)くろんぐろ燈にさえて北村大膳未だいで來(こ)ず
[やぶちゃん注:この三首は「天衣紛上野初花(くもにまごううえのはつはな)」。「三千歳」は遊女の名で「みちとせ」と読む。三首目の「くろぐろ」の後半は底本では踊り字「〲」。梗概や写真が日本芸術文化振興会製作になる「歌舞伎への誘い」の「天衣紛上野初花」で見られる。]
格子縞の炬燵によりて思ひ入る鴈次郎の眼(め)の切れの長さよ
その涙流れて小春汲まんずとあほれおさんが恨み口説くを
紀の國や小春樣まゐるさんよりと文(ふみ)の上書讀めば哀しも
[やぶちゃん注:この三首は「心中天網島」。鴈次郎は鴈治郎の誤りか。本作(歌舞伎ではその中から見どころを再編した「河庄(かわしょう)」と「時雨の炬燵(しぐれのこたつ)」が主に上演される。ウィキの「心中天網島」に解説がある)の主人公紙屋治兵衛は初代中村鴈治郎(安政七(一八六〇)年~昭和一〇(一九三五)年)の当り役であった。三首目の太字「さん」は底本では傍点「ヽ」。]
吉原の春のともし灯(び)入りにけり禿(かむろ)はしれば鈴の音さやか
赤面(あかづら)の男之助が見得切りてあゝら不思議と迫(せ)り上りくる
飄々と浮かれ坊主が踊りゐるおどけ哀しくをかしかりけり
大川の遠書割(とほかきわり)に燈が入れば淸親ゑがくとふと思ひけり
[やぶちゃん注:四首とも「伽蘿先代萩(めいぼくせんだいはぎ)」であろうか(ウィキの「伽蘿先代萩」に梗概や歌舞伎の見せ場が解説されている)。「淸親」は浮世絵師小林清親(きよちか 弘化四(一八四七)年~大正四(一九一五)年)。月岡芳年・豊原国周と共に明治浮世絵の三傑の一人に数えられ、「最後の浮世絵師」「明治の広重」と称された。浮世絵の歴史は清親の死によって終わったともいえる(ウィキの「小林清親」に拠った)。]