眠られぬ夜の歌 十一首 中島敦
眠られぬ夜の歌
――就寢後三時間以内に睡りにつく夜とてなければ、
この歌は又「夜毎の歌」と稱するも妨げず
睡眠(ねむり)てふ大き寶を人みなは寶と知らず羨(とも)しきろかも
まどろまむすべも知らねば眼をとぢて新聞將棋思ひいでむず
たまさかに木村八段負けよかしなど思ひつゝ盤面をゑがく
[やぶちゃん注:「木村八段」後の十四世名人(昭和二七(一九五二)年の引退と同時に襲位)で八段であった木村義雄(明治三八(一九〇五)年~昭和六一(一九八六)年)か。参照したウィキの「木村義雄」によれば、大正一五(一九二六)年に八段となり、昭和一三(一九三八)年の第一期名人戦に於いて名人となって以来、最強を誇り、「常勝将軍」と呼ばれ恐れられた、とある。底本解題を見る限り、本歌稿の成立時期は昭和一二(一九三七)年前後である。]
あら不思議何故飛車を打込みて八四(ハチヨン)の角を素破拔かぬぞ
何すとか金子八段飛車打たぬ手ぬるしと思ふよ素人(しろうと)われは
[やぶちゃん注:金子金五郎(明治三五(一九〇二)年~平成二(一九九〇)年)か。参照したウィキの「金子金五郎」によれば、『日本将棋連盟の前身である将棋大成会の幹事長を務め、木村義雄名人を補佐して将棋界の発展に尽くした。また、雑誌「将棋世界」の初代編集長でもある』。『「序盤の金子」と称された理論派で、引退後は観戦記者として大山・升田の名勝負の魅力をファンに伝えた。「定跡とは、歴史です」という名言がある』とある。昭和七(一九三二)年に八段、昭和二五(一九五〇)年に引退し、昭和四八(一九七三)年に九段となっている。]
新聞の將棋終ればラテン語のディクレンションか未だいね難し
[やぶちゃん注:「ディクレンション」“Declension”とは、語形変化の内で名詞などが性・数・格といった文法カテゴリーに対応して変化するものをいう。ラテン語では多く見られ、ラテン語学習では悩まされる部分である。参照したウィキの「ディクレンション」によれば、『語学などでは格変化と訳されることが多いが、格による変化だけをいうのではない。また古典語の文法では曲用という訳語がよく使われる。これは動詞の語形変化である活用と対をなす訳語である』とある。]
マギステル・マギーストルム・マギスーリィぬば玉の夜は更(ふ)けにけらしも
[やぶちゃん注:「マギステル・マギーストルム・マギスーリィ」ラテン語主格単数“Magister”(呼格単数も同じ)のディクレンションの“magisterōrum”(属格複数。“magisterum”なら対格単数)“magisterī”(主格複数・属格単数・呼格複数)で、マスター、親方・主人・校・教師の意。ここは自分の職業である教師の謂いであろう。]
アントニオがクレオパトラを口説きけむラテンことばの煩はしもよ
[やぶちゃん注:太字「ことば」は底本では傍点「ヽ」。]
ラテン語はよくも得せねば佛蘭西のエーメ動詞を變化させてむ
[やぶちゃん注:「エーメ動詞」フランス語の動詞「愛する」“aimer”(エーメ)をディクレンションしても不定形も“aimer”(エーメ)、過去分詞も“aim(e)”(エーメ)である。]
愛(は)しきやし巴里の乙女がいふならむジュ・ヴー・ゼエームこそ聞かまほしけれ
[やぶちゃん注:「ジュ・ヴー・ゼエーム」“je vous aime”。「私はあなたを愛してる」。]
アンパルフェ容易(たやす)からねば朦朧とやゝに眠しも今は止(や)みなむ
[やぶちゃん注:「アンパルフェ」“Imparfait”。フランス語の過去時制の一つである半過去。「その時〜していた」「その時には〜だった」といった過去において継続された動作・状況・習慣を表わす。以上の十一首は喘息発作のために眠られぬ夜の堪え難い苦悶を敢えて戯画的に詠ったものである。]

