明恵上人夢記 21
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同十七日の夜、彼の人を祈るべき狀を聞く。其の夜は一定の返事を言はずして還る。將に此の事を辭せむとす。其の夜、夢に云はく、同行五六人とともに淸水寺へ參らむと欲す。其の道に、階を刻める有りて、階之際(きは)ちぎれたり。其の間三四尺許り、踊り越えて到りぬべし。然るに、心に少しく怖畏有り。心に思はく、前々五六度、此の道を過ぎて參れり。同じき事也と思ひて、怖畏して參らずと云々。
[やぶちゃん注:この文は実は改行せず、前の「20」に引き続いて書かれており、また、次の「22」もやはり引き続き書かれてある。
「同十七日」元久二(一二〇五)年十月十六日。この前書きの事実記載は、やはり前の「19」及び「20」の夢の前に記された丹波殿関連の事実記事と関連すると思われるが、依然としてその内容は不明である。
「彼人」丹波殿が誰か(高貴な名を記すことが憚られたか)の何かについての祈禱を明恵に依頼したものか。どうもきな臭い。
「三四尺許り」九十センチメートルから一メートル二十センチほど。]
■やぶちゃん現代語訳
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同十七日の夜、かの人についての祈禱を修することについての申し入れを聞くだけは聞く。その夜ははっきりとした返事を口にすることなくして帰る。私としてはこの修法については辞退しようと考えた。その夜、見た夢。
「同行の五、六人とともに清水寺へ参詣しようとした。その道すがら、新たに階(きざはし)を刻み掘った場所があったが、そこを登って行くと、ある高みでその階の端がすっぱりと千切れてなくなって崖となっているのであった。少し向こうに続く階があるにはある。その割れ目の間は三、四尺許りであったが、跳躍して越えれば届く距離ではあった。然るに、心の中に少しく怖畏の感が過(よ)ぎった。心中にて思うことには、
『……以前にも五、六度、この道を通って清水には参詣してしまっているではないか。今更、参ったとて、同じことだ。……』
という思いの中で、結局、怖畏するまま、遂に私だけは清水を参詣せず、そこから帰ってしまったのであった。……
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