雪かなしいつ大佛の瓦葺 芭蕉 萩原朔太郎 (評釈)
雪かなしいつ大佛の瓦葺
天を摩する巨像のやうな大佛殿。その屋根にちらちら雪が降つてゐるのである。このイメーヂは妙に悲しく、果敢なく佗しい思ひを感じさせる。芭煮俳句の中で、最もイマヂスチツクな特色をもつた句である。
[やぶちゃん注:『コギト』第四十二号・昭和一〇(一九三五)年十一月号に掲載された「芭蕉私見」の中の評釈の一つ。昭和一一(一九三六)年第一書房刊「郷愁の詩人與謝蕪村」の巻末に配された「附錄 芭蕉私見」では以下のように改稿されている。ルビが配されているので句も示す。
雪かなしいつ大佛の瓦葺(ぶき)
夢のやうに唐突であり、巨象のやうに大きな大佛殿。その建築の家屋の上に、雪がちらちら降つてるのである。この一つの景象は、芭蕉のイメーヂの中に彷徨してゐるところの、果敢なく寂しい人生觀や宿命觀やを、或る象徴的なリリシズムで表象して居る。人工の建築物が偉大であるほど、逆に益〻人間生活の果敢なさと悲しさを感ずるのである。
これも「附錄 芭蕉私見」版の方が感性に迫ってくる。但し、朔太郎には大いなる誤認がある。この雪が散っているのは実は大仏殿ではなく、露座となっていた大仏そのものである。本句は元禄二(一六八九)年十二月の吟で、東大寺大仏殿は存在しなかったからである(永禄一〇(一五六七)年の松永久秀と三好三人衆の戦闘によって炎上、芭蕉が訪れたこの時期にはその再興の計画はあったものの手付かずの状態であった)。大仏殿の再興は宝永二(一七〇五)年を待たねばならなかった。この句は故にこその「いつ」であり「雪かなし」なのである。別稿に、
南都にまかりしに、大佛殿造營の遙けき事を思ひて
初雪やいつ大仏の柱立
がある(「柱立」は「はしらだて」と読み、家屋の建築で初めて柱を立てる、その祝いの儀式を指す。以上の本句のデータは「芭蕉DB」の「初雪やいつ大仏の柱立」を参考にさせて戴いた)。]
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