耳囊 卷之七 幽靈を煮て食し事
幽靈を煮て食し事
文化貮年の秋の事也。四ツ谷のもの夜中用事ありて通行せし道筋に、白き將束(しやうぞく)なせし者先へ立(たち)て行ゆへ樣子を見しに、腰より下は見へず。幽靈と歟(か)いふ者にやと跡をつけて行しが、ふり皈(かへ)りたりし㒵(かほ)大い成(なる)眼ひとつ光りぬれば、拔打(ぬきうち)に切り付(つけ)しに、きやつといふて倒れし。取つておさへ差(さし)殺し見しに、大成(なる)ごひ鷺なればやがてかつぎ返り、若き友達内寄(うちより)て調味してける。是を、幽靈を煮て喰(くらひ)しと專ら巷説なりしと也。
□やぶちゃん注
○前項連関:怪談(但し、こちらは「正体見れば」譚)話で連関。ホットな擬怪奇談。私の山の先輩は若い頃に雷鳥を焼いて食ったことがある(美味であった)と聴いたが、サギを食ったという方は知らない。味を御存知の方は、是非、ご一報を。
・「文化貮年の秋」「卷之七」の執筆推定下限は文化三(一八〇六)年夏。
・「將束」底本では右に『(裝束)』と訂正注を打つ。
・「ごひ鷺」コウノトリ目サギ科サギ亜科ゴイサギ Nycticorax nycticorax 。ウィキの「ギサギ」によると、全長五八~六五センチメートル・翼開長一〇五~一一二センチメートル・体重〇・四~〇・八キログラムで上面は青みがかった暗灰色、下面は白い羽毛で被われる。翼の色彩は灰色。虹彩は赤いく、眼先には羽毛が無く、青みがかった灰色の皮膚が露出する(この形状が闇の中で直近で並んで光に反射すれば、大きな一つ目にも見えぬとは限らぬ)。嘴の色彩は黒い。後肢の色彩は黄色、とある。知らずに闇の中に立って振り返られれば、これは、確かにキョワい!
■やぶちゃん現代語訳
幽靈を煮て食った事
文化二年の秋のことで御座る。
四ツ谷の在の者、夜中に用事があって外出致いた道筋に、
……白き装束をなしたる……妖しい者が……これ……先へ立って歩く……
やに、見えた。
……何やらん……その挙措……これ……人とは思えぬ……
なればこそ、おっかなびっくりさらに様子を見てみると……
……これ……
……腰より下は……見えぬ!!
『スワっ! こ、これぞ、ゆ、幽霊というものカッ?!』
と、恐怖と興味の半ばして、抜き足差し足、跡をつけて行ったところが……
……そ奴が! これ!
……すくっと止まって!
……急にふり返る!
……その顔は!
……大きなる眼(めえ)が!
……ただ一つ!
……光っておるばかり!
さればこそ、
――ヒエッ!
と叫ぶが早いか、
『取り殺されんカッ! 最早、これまでじゃッ!』
と、抜き打ちに切りつけた!
と幽霊、
――キャッ!
叫んで
――バッタ!
音を立てて倒れる。
さても手応えあって倒れたによって、男は勇気百倍、幽霊を、これ、捕って押さえ、
――ブスッ!
と刺し殺いた!……
……動かずなったによって近寄ってよう見てみたところが……これ……何のことはない……大きなる五位鷺じゃった……
……されば、そのまま担いで長屋へと帰り、近隣の若い衆を招き寄せると、捌いて煮込んで、『いうれい鍋』と洒落て、喰(くろ)うたそうじゃ。
これを『幽靈を煮て喰った』とは、近時専らの巷説となっておる、とのことで御座る。
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