秋ふかき隣となりは何をする人ぞ / 秋さびし手毎にむけや瓜茄子 芭蕉 萩原朔太郎 (評釈)
秋深き隣は何をする人ぞ
芭蕉の心境詩として、行き盡した究極の名句と言はれて居る。
[やぶちゃん注:『コギト』第四十二号・昭和一〇(一九三五)年十一月号に掲載された「芭蕉私見」の中の評釈の一つ。なお、次の「秋さびし手毎にむけや瓜茄子」の評釈注を参照。芭蕉五十一歳、元禄七(一六九四)年九月二十八日の芭蕉最後の俳席での作。芭蕉が横臥する直前の作物で、翌日に臥せった芭蕉は二度と起き上がることなく、翌十月十二日に亡くなった。芭蕉最後の絶唱の一つ。]
秋さびし手毎にむけや瓜茄子
友人の家に招ばれて、果實など馳走になつた時の句である。何でもない即興句のやうであつて、しかも秋の寂しさと孤獨にたえてる、人間共の佗しい生活とその人情の戀しさとが、泌々と嘆息深く歌はれてる。前の「秋深き隣は何をする人ぞ」と、同じやうな一つのリリシズムの心境である。
[やぶちゃん注:『コギト』第四十二号・昭和一〇(一九三五)年十一月号に掲載された「芭蕉私見」の中の評釈の一つ。「たえてる」「泌々」はママ。但し、これは「奥の細道」に載る「秋涼し手毎にむけや瓜茄子」という句の誤認である。この句は犀川畔の門人一泉の松幻庵での句会の発句で、その折りに出た料理へ感謝する挨拶句である。
この評釈は「附錄 芭蕉私見」では前の「秋深き隣は何をする人ぞ」とカップリングしてある。以下に句も含めて示す。
秋ふかき隣は何をする人ぞ
秋さびし手毎にむけや瓜茄子
芭蕉の心が傷んだものは、大宇宙の中に生存して孤獨に弱々しく震へながら、葦のやうに生活している人間の果敢さと悲しさだつた。一つの小さな家の中で、手毎に瓜の皮をむいてる人々は、一人一人に自己の悲しみを持つてるのである。そしてこの悲しみこそ、無限の時空の中に生きて、有限の果敢ない生活をするところの、孤獨な寂しい人間共の悲しみである。それは動物の本能的な悲哀のやうに、語るすべもなく訴へるすべもない。ただ寄り集つて手を握り、互に人の悲しみを感じながら、憐れに沈默する外はないのである。見よ。秋深き自然の下に、見も知らぬ隣人が生活して居る。そしてこの隣人の悲しみこそ、それ自ら人類一般の悲しみであり、倂せてまた芭蕉自身の悲哀なのだ。
見当違いの誤認(これは萩原朔太郎の持っている病的な思い込みと関わるが)が含まれてはいるものの、カップリングによって評釈(これは実は最早、芭蕉の心象ではなく、評する萩原朔太郎の孤独な心象の投影なのであるが)には非常な冴えが生じてはいる。]
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