中島敦短歌拾遺 (1) 「霧・ワルツ・ぎんがみ――秋冷羌笛賦――」草稿
中島敦短歌拾遺
[やぶちゃん注:以下は既に電子化注釈を終了した筑摩書房昭和五七(一九八二)年増補版「中島敦全集」第二巻所収の「歌稿」以外に同全集第三巻の「ノート・斷片」「手帳・日記」に見出せる短歌及び歌稿草稿と思しいものを拾い集めたものである。]
見まく欲り來しくもしるく山手なる外人墓地の秋草の色
秋風もいたくな吹きそ若き日の聖クラヽが三人歩める
我も見つ人にも告げん元町の增德院の二本銀杏
あさもよし
元町の
あしびきの山の手の店に踊子は縞のショールを買ひにけるかな
踊子は縞のショールを買ひてけり秋の夕は秋の風吹く
夕されば 踊子の亜麻色の髪に秋の風吹く
眺めつゝ淋しきものか眉描きし霧の夜頃の踊子の顏
あるぜんちんのたんごなるらしキャバレエの窓より洩るゝこの小夜ふけに
うかれ男に我はあらねど小夜ふけてブルース聞けば心躍る
[やぶちゃん注:「ノート・斷片」の「斷片」の、底本編者が「十四」とする短歌草稿群。「夕されば」の後の三字空きはママ。これらは明らかに先に掲げた「歌稿」の「霧・ワルツ・ぎんがみ――秋冷羌笛賦――」の草稿である。以下、煩を厭わず、決定稿と並列させてみる。最初に本稿の歌稿●、次に〔 〕で当該決定稿の所収歌群(前書のテーマ)を示して決定稿◎を示す(添書のあるものはそれも示した)。
●見まく欲り來しくもしるく山手なる外人墓地の秋草の色
〔「於外人墓地」の巻頭〕
◎見まく欲(ほ)り來(こ)しくもしるし山手なる外人墓地の秋草の色
●秋風もいたくな吹きそ若き日の聖クラヽが三人歩める
〔「街頭スケッチ」の十二首目〕
◎秋の風いたくな吹きそ若き日の聖クララがうけ歩みする (若き尼僧は天主教の黑衣を纏へり)
[やぶちゃん注:「うけ歩みする」の推敲は画面のエッジが切れるように鋭くなって美事なものである。]
●我も見つ人にも告げん元町の增德院の二本銀杏
〔「ひげ・いてふの歌」巻頭〕
◎我も見つ人にも告げむ元街の增德院の二本銀杏(ふたもといてふ)
●あさもよし
〔「街頭スケッチ」の十八首目〕
◎(?)あさもよし喜久屋のネオンともりけり山手は霧とけぶれるらしも
●元町の
◎(なし)
[やぶちゃん注:これを初句とする短歌は存在しない。没草稿の一つか。或いは、「歌稿」で「霧・ワルツ・ぎんがみ――秋冷羌笛賦――」に先行する「Miscellany」歌群に含まれる、元町を詠み込んだ(以下の二箇所の「まち」は「街」と「元町」のルビで、ルビを振った状態で「(元町)」が丸括弧表記でルビの附いた「街」に続いている、かなり表記としては苦しいものである)、
拙なかるわが歌なれど我死なは友は街(まち)(元町(まち))行き憶ひいでむか
に類したものを詠じようとしたものか。因みに元町の詠歌多いが、「元町」を歌の中に詠み込んだものは「歌稿」ではこの一首のみである。]
●あしびきの山の手の店に踊子は縞のショールを買ひにけるかな
〔「踊り子の歌」巻頭〕
◎あしびきの山の手の店に踊子は縞のショールを買ひにけるかな
●夕されば 踊子の亜麻色の髪に秋の風吹く
〔同じく「踊り子の歌」三首目〕
◎夕さればルムバよくする踊り子の亞麻色の髮に秋の風吹く
[やぶちゃん注:二句目の推敲の素晴らしさがよく分かる。]
●眺めつゝ淋しきものか眉描きし霧の夜頃の踊子の顏
〔同じく「踊り子の歌」五首目〕
◎眺めつゝ寂しきものか眉描きし霧の夜頃の踊り子の顏
●あるぜんちんのたんごなるらしキャバレエの窓より洩るゝこの小夜ふけに
〔同じく「踊り子の歌」七首目〕
◎亞爾然丁(あるぜんちん)のタンゴなるらしキャヷレエの窓より洩るゝこの小夜更(さよふ)けに
●うかれ男に我はあらねど小夜ふけてブルース聞けば心躍るも
〔同じく「踊り子の歌」七首目〕
◎浮かれ男に我はあらねど小夜ふけてブルウス聞けば心躍るも
以上から分かるように、これに限って見れば、敦の短歌は殆んど天然の形がそのまま決定稿に生きていることが分かる。また、彫琢部分も実に鋭い。歌人としての中島敦を我々は積極的に見直すべきであると私は感じている。]
« 煙のなかに動く幻影 大手拓次 | トップページ | 中島敦短歌拾遺 (2) 昭和八年手帳から 「尾瀬の歌」は実は昭和8年のものではなく、昭和9年のものではないか? »