玉霰漂母が鍋を亂れうつ 蕪村 萩原朔太郎 (評釈)
玉霰(あられ)漂母(ぼ)が鍋を亂れうつ
漂母(へうぼ)は洗濯婆のことで、韓信が漂浪時代に食を乞うたといふ、支那の故事から引用してゐる。しかし蕪村一流の技法によつて、これを全く自己流の表現に用いて居る。即ち蕪村は、ここで裏長屋の女房を指してゐるのである。それを故意に漂母と言つたのは、一つはユーモラスのためであるが、一つは暗にその長屋住ひで、蕪村が平常世話になつてる、隣家の女房を意味するのだらう。
侘しい路地裏の長屋住ひ。家々の軒先には、臺所のガラクタ道具が竝べてある。そこへ霰あられが降つて來たので、隣家の鍋にガラガラ鳴つて當るのである。前の「我を厭いとふ」の句と共に、蕪村の侘しい生活環境がよく現はれて居る。ユーモラスであつて、しかもどこか悲哀を内包した俳句である。
[やぶちゃん注:昭和一一(一九三六)年第一書房刊「郷愁の詩人與謝蕪村」の「冬の部」より。底本は「我を厭ふ」が「私を厭ふ」となっているが、訂した。]
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