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2013/09/06

生物學講話 丘淺次郎 第九章 生殖の方法 三 單爲生殖(1) アリマキの例

   三 單爲生殖

 

 雌雄異體の動物でも雌雄同體の動物でも、生殖を營むに當つてはまづ卵細胞と精蟲との相合することが必要であるが、若干の動物では精蟲に關係なく卵細胞だけから子が出來ることがある。かやうな場合にはこれを單爲生殖または處女生殖と名づける。昆蟲類の中では植物の芽や枝に群集して液汁を吸ふ「ありまき」、水中に住む動物では魚類の餌になる「みぢんこ」の類などは、常に單爲生殖によつて盛に殖える。その他にもなほ幾つも例を擧げることが出來る。

[やぶちゃん注:「ありまき」既注済みであるが、再注しておく。アリマキは「蟻牧」で、昆虫綱有翅亜綱半翅(カメムシ)目腹吻亜目アブラムシ上科のアブラムシ科 Aphididae・カサアブラムシ科 Adelgidae・ネアブラムシ科 Phylloxeridae に属するアブラムシ類の別称。アリとの共生関係の観察から、古くよりかく呼称された(犬の散歩中に子供らと話していたら、彼らを何かの昆虫の幼虫と勘違いしている者が多いのには吃驚した)。また、ウィキの「アリマキ」によれば、体内(細胞内)に真正細菌プロテオバクテリア門γプロテオバクテリア綱エンテロバクター目腸内細菌科ブフネラ Buchnera 属の大腸菌近縁の細菌を共生させていることが知られ、ブフネラはアブラムシにとって必要な栄養分を合成する代わりに、『アブラムシはブフネラの生育のために特化した細胞を提供しており、ブフネラは親から子へと受け継がれる。ブフネラはアブラムシの体外では生存できず、アブラムシもブフネラ無しでは生存不可能である』とあり、更に二〇〇九年には『理化学研究所の研究によりブフネラとは別の細菌から遺伝子を獲得し、その遺伝子を利用しブフネラを制御している』という恐るべきメカニズムが判明している。是非、以下の理化学研究所の「アブラムシは別の細菌から獲得した遺伝子で共生細菌を制御」という「理研ニュース 二〇〇九年五月号」の記事をお読みになられることをお奨めする。

「みぢんこ」同じく既注であるが、大事な登場人物(アリマキの後で詳述される)なので再注しておく。ミジンコは「微塵子」「水蚤」などと書き、水中プランクトンとしてよく知られる微小な節足動物である甲殻亜門鰓脚綱葉脚亜綱双殻目枝角(ミジンコ)亜目 Cladocera 属する生物の総称。形態は丸みを帯びたものが多く、第二触角が大きく発達して、これを掻いて盛んに游泳する。体長〇・五~三ミリメートル前後の種が多いが、中には五ミリのオオミジンコ Daphnia magna Strausや、一センチメートルに達する捕食性ミジンコのノロ Leptodora kindtii などもいる(以上はウィキの「ミジンコ目」に拠った)。]

 

 「ありまき」には種類がなかなか多いが、いづれも植物の若い莖や枝に止まり、細長い吻をその中にさし入れて液汁を吸ふ。形は小さいが繁殖が盛で忽ち何千にも何萬にもなるから、植物はそのため大害を被るに至る。蕃殖法の詳細な點は種類によつて色色相違があり、中には極めて複雜な關係を示すものもあるが、最も簡單な場合でも他の普通な動物に比べると餘程込み入つて居る。まづ春温くなつた頃に卵から僻化して雌が生まれ出て、植物の汁を吸つて忽ち成熟し、雄なしに卵を産み、その卵からはまた雌が出て、また雄なしに卵を産む。かくして幾代も蕃殖を續けて秋に至り少しく涼しくなつて來ると、こん度は卵から雌と雄とが出て、これが相寄つて前のとは稍々違つた殼の厚い卵を産む。この卵が直には孵らず、そのまゝ冬を越し翌年の春になつて始めて、それから雌が出て、ふたたび同じ歴史を繰り返すのである。以上は最も簡單な場合を示したので、實際はこれよりなほ一層複雜な經過を示すものが多い。また卵生でなく、子の形が出來てから生まれることも常である。夏日「ありまき」が樹に止まつて居るのを見て居ると、腹部の後端から小さな子が續々生まれ出て、直ちに匐ひ廻るのを屢々見かける。されば「ありまき」の類では雌と雄とが揃うて居るのは、一年の中でも或る短い時期に限ることで、その他のときにはたゞ雌ばかりである。しかもその雌は雌雄揃つてあるときの雌とは違つて、各々獨身で子を産み得る特殊の雌である。大抵の「ありまき」では雌ばかりの間は翅がなくて、たゞ遲く匐ふだけであるが、雌雄が揃つて現れる頃には兩方とも翅があつて數多く飛び廻り、遠い處まで自分の種を分布する。「ありまき」と蟻との關係は有名なもので、蟻は「ありまき」の腹部の後端から滴り出る甘い汁を舐める代りに、常にこれを保護して敵から防いでやる。それ故「ありまき」は運動が遲くとも多少安全な場合もあるが、また「ありまき」を食ふことを專門とする昆蟲も澤山にあるから、餘程盛に蕃殖せぬと種切れになる虞がないでもない。そしてそのためには普通の生殖法によらず、單爲生殖といふ手輕な變則法によるのが最も有功であらう。「ありまき」では、殆ど今日吸うた植物の汁が明日は子となつて生まれるのであるから、生殖は個體の範圍を超えた成長であるといふことが、實に適切に當て嵌る。

[やぶちゃん注:ここではアリマキ(アブラムシ)の生殖法が問題になっているので、ウィキの「アブラムシ」から、当該叙述部分を見ておきたい。アブラムシは『春から夏にかけてはX染色体を2本持つ雌が卵胎生単為生殖により、自分と全く同じ、しかも既に胎内に子を宿している雌を産む。これにより短期間で爆発的にその数を増やし、宿主上に大きなコロニーを形成する。秋から冬にかけてはXO型、つまりX染色体の一本欠けた雄が発生し、卵生有性生殖を行う。卵は寒い冬を越し、暖かくなってから孵化する。このとき生まれるのは全て雌である』とあって、丘先生のおっしゃるように雄は秋から冬にかけての限定された時期にしか出現しない(種によって細部が異なり、複雑化していることは丘先生も述べておられる)ことがはっきりと分かる。]

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