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2013/09/24

耳嚢 巻之七 退氣の法尤の事

 退氣の法尤の事

 文化元年麻疹(はしか)流行なして、死する者も多かりしが、番町邊の御旗本の奧方麻疹にて身まかりしが、其隣御旗本の妹容色もよかりしと、無程(ほどなく)世話する者のありて後妻に呼(よび)迎へしに、度々先妻の亡靈出て當妻本心を失(うしなひ)し。色々の療治すれど快驗なく、山伏又は僧を賴み祈禱抔なせども聊(いささか)印なし。外の者の目には見へず、只當妻(たうさい)のみ見へけるとなり。此事を或人聞(きき)て、中々一通りの者祈禱してはきくまじ、牛込最勝寺の塔頭(たつちゆう)德林院の隱居を賴み可然(しかるべし)と言ける故、彼(かの)德林院へ至りしかじかの事語りければ、我が祈禱にて可利有(きくべくあり)とも思はれねど、此地藏の御影(みえい)を持行(もちゆき)古(ふる)位牌へ張付(はりつけ)、佛壇へなりと枕元へなりと置(おき)て、佛器に一盃の茶を入與(いれあた)へけるにぞ、則(すなはち)立歸り其通りなしけるに、其夜よりたへて怪異なかりしと也。繪に畫(かけ)る地藏の奇特(きどく)とも思はれず、彿器の茶は何爲(なんのため)に與へける、是の事にきくに、あらず、此老僧はさる者にて、退氣(たいき)の手段(てだて)をなしけるなり。彼(かの)後妻隣家なれば、先妻息才の節より通じけるや。たとへ通ぜずとも、不幸間もなく再緣せし事故、先妻は何とも思はぬとも、當妻恨みもせんと思ふ心より靈氣呼(よび)たるべし。

□やぶちゃん注
○前項連関:霊異譚で連関。但し、こちらは頗る現実的な解釈、後妻の前妻に対する罪障感に基づく強迫神経症的幻覚と断じている(と私は読む)。心理学者根岸鎭衞に快哉!
・「退氣」陰陽五行説及び九星学や気学に於いて、相生(吉)の中で自分が生み出す子星(勤勉や他人を助ける星)を意味するものらしい。
・「文化元年」西暦一八〇四年。「卷之七」の執筆推定下限は文化三(一八〇六)年夏。
・「麻疹」通常の麻疹(はしか/ましん)は一週間程度で治るが、大人の場合、現在でも風邪と勘違いして治療が遅れると、肺炎や約一〇〇〇人に一人の割合で脳炎が合併症として現われ、その場合は十五%が死に至る。
・「牛込最勝寺」底本の鈴木氏注に、『済松寺の誤。前出。』とある。これは「耳嚢 卷之五 濟松寺門前馬の首といふ地名の事」に出る。以下、私の注を転載しておく。「濟松寺」東京都新宿区榎町にある臨済宗妙心寺派の寺。開山の祖心尼は義理の叔母春日局の補佐役として徳川家光に仕えた人物である。
・「置て、」底本ではこの読点の右にママ注記がある。鈴木氏は前に「古位牌へ張付」とあるのと齟齬を覚えられたためであろう。私は護符は複数枚あったものと考える。その方がプラシーボ効果が高まるからである。
・「退氣(たいき)の手段」占いの方はよく分からんし、その深遠な哲学にも興味はないので――根岸もそうした陰陽道みたような厳密な意味でこれを用いているとも思われないので――現代語訳では半可通のまま、「退気」を使用させて貰った。謂わば、前に述べた如く、自身の側にある種の罪障感があって、それが昂じて重い強迫神経症を引き起こし、霊の幻覚を見た、そうした新妻の病的な心理状態を緩和させるための地蔵の護符というプラシーボ(偽薬)による心理療法を施したという意味で私は採る。
・「息才」底本には右に『(息災)』の訂正注がある。以下の部分、訳にホームズ根岸の推理を補強するような翻案部をワトソン藪野が追加しておいた。

■やぶちゃん現代語訳

 退気(たいき)の法の尤もなる効果の事

 文化元年、麻疹(はしか)が流行(はや)り、死する者も多く御座った。
 番町辺りの御旗本の奧方、この麻疹にて身罷って御座った。
 さて、その隣りの、やはり御旗本の家に妹子(いもうとご)が御座って、容色もよいとのことにて、ほどのう世話する者のあって、隣りの御旗本の後妻に呼び迎えた。
 ところが、たびたび先妻の亡霊が出現致いて、新妻の後妻、これ、心神を喪失致すことがたび重なったと申す。
 いろいろと療治致いたものの一向にようならず、山伏やら僧やらを頼んでは、祈禱なんども致いたものの、これ、聊かも効果が、ない。
 この先妻の亡霊なるものは、しかし、他の者の目には見えず、ただ、その新妻ののみに見えるとのことで御座った。
 このことをある御仁が聴き、
「……それは……なかなか、一通りの者の祈禱にては効くまいぞ。……我の知る、牛込済松(さいしょう)寺の塔頭(たっちゅう)徳林院の御隠居を頼むが、よろしかろう。」
と申したによって、主人の命を受けた家人が、その徳林院へと至り、しかじかの由、語ったところが、その僧、使いの者にその妻を亡くした御旗本、その隣家の御旗本及びその妹子のことなど、詳しく質いた後、何か思い当ったところがあったように、徐ろに何枚かの御札を取り出だいて、
「――我が祈禱にて効験(こうげん)これあるとは、思われませぬが――ここはまあ、一つ、こちらの地蔵の御影(みえい)を持ち行かれ、亡き妻女の位牌へと一枚を張り付け、また仏壇へなりと枕元へなりと、これを置きて、また、仏さまにお供えする器(うつわ)に、一杯の茶(ちゃあ)を入れて、奉ずるが、よろしかろうぞ。――」
と申した。
 されば家人はすぐに立ち帰り、主人に申し上げて、その通りになしたところが――
――その夜より
――きっぱりと
――新妻は、かの霊の出来(しゅったい)に慄(おのの)くこと
――これ、一切なくなったと申す。
   *
 按ずるに、これ、絵に描いた地蔵の奇特(きどく)とも思われず――また、供養の仏器に淹れし茶は何のための供えかも、これ、分明でない。
 この御旗本の周辺の事情や、かの徳林院の僧につき、私が少しく聴き及んだところによれば――地蔵の奇特――にては、これ、ない。
 この老僧、まっことの智者にして、言わば
――退気(たいき)の手段(てだて)――
を成したものに、他ならぬ。
 そもそも、かの後妻はまさに隣家の者であったによって、先妻が息災であった頃より、実は姦通致いて御座ったのではなかろうか?
 憚りのあれば、具体には申さぬものの、私の調べたところによれば、そのような事実を強く疑わせるようなことがあった――
とのみ、ここに申し述べておくに留めよう。
 いや、百歩譲って、たとえ、そうした密通の事実がなかったとしても――だいたい先妻の不幸のあって、ほんの間もなく致いて、早々に再縁致すと申す、これ、世間一般の通念から致いても、すこぶる芳しからざることなれば――「先妻の霊」は、これ、何とも思はぬと致いても――当の新妻自身が、
『先妻の亡魂が恨みをもお持ちではなかろうか』
と按ずる心の生ずること、これもすこぶる道理なれば、まさに
――ありもせぬ「霊気」――
をも呼び出だいては、それを「見た」ものに相違あるまい。

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