黄色い春 北原白秋
黄色い春
黄色(きいろ)、黄色(きいろ)、意氣で、高尚(かうと)で、しとやかな
棕櫚の花いろ、卵いろ、
たんぽぽのいろ、
または仔猫の眼の黄いろ‥‥
みんな寂しい手ざはりの、岸の柳の芽の黄いろ、
夕日黄いろく、粉(こな)が黄いろくふる中に、
小鳥が一羽鳴いゐる、
人が三人泣いてゐる、
けふもけふとて紅(べに)つけてとんぼがへりをする男、
三味線彈きのちび男、
俄盲目(にはかめくら)のものもらひ。
街(まち)の四辻、古い煉瓦に日があたり、
窓の日覆(ひよけ)に日があたり、
粉屋(こなや)の前の腰掛に疲れ心の日があたる、
ちいちいほろりと鳥が鳴く、
空に黄色い雲が浮く、
黄色、黄色、いつかゆめ見た風も吹く。
道化男がいふことに
「もしもし淑女(レデイ)、とんぼがへりを致しませう、
美しいオフエリヤ樣、
サロメ樣、
フランチエスカのお姫樣。」
白い眼をしたちび男、
「一寸、先生、心意氣でもうたひやせう」
俄盲目(にはかめくら)も後(うしろ)から
「旦那樣や奧樣、あはれな片輪で御座います、どうぞ一文。」
春はうれしと鳥も鳴く。
夫人(おくさん)、
美しい、かはいい、しとやかな
よその夫人(おくさん)、
御覽なさい、あれ、あの柳にも、サンシユユにも
黄色い木の芽の粉(こ)が煙り、
ふんわりと沁む地のにほひ、
ちいちいほろりと鳥も鳴く、
空に黄色い雲も浮く。
夫人(おくさん)、
美しい、かはいい、しとやかな
よその夫人(おくさん)、
それではね、そつとここらでわかれませう、
いくら行(い)つてもねえ。
黄色、黄色、意氣で高尚(かうと)で、しとやかな、
茴香(うゐきやう)のいろ、卵いろ、
「思ひ出」のいろ、
好きな仔猫の眼の黄いろ、
浮雲のいろ、
ほんにゆかしい三味線の、
夢の、夕日の、音(ね)の黄色。
*
「東京景物詩」より。底本は昭和25(1950)年刊新潮文庫「北原白秋詩集」。同詩集では昨日の「新生」の直後に配されてある。
「フランチエスカのお姫樣」はダンテの「神曲」の「地獄篇」の登場人物フランチェスカ・ダ・リミニのこと。ラヴェンナ領主グイド・ダ・ポレンタの娘で、父の政争の道具にされて容貌醜悪で足の不自由なリミニ領主ジョヴァンニ・マラテスタへ嫁がせようとするが、ジョヴァンニは足が不自由で容姿も醜くく、事前に彼女が激しい嫌悪感を抱いていることを知って、美少年のジョヴァンニの弟パオロ・マラテスタを替え玉にして結婚式を挙げる。お決まりのようにフランチェスカとパオロは恋に落ちるが、フランチェスカは結婚式翌日の朝まで自分が騙されていることに気づかなかった。後日、二人の抱き合う様を見たジョヴァンニによってパオロとともに殺された(ウィキの「フランチェスカ・ダ・リミニ」を参照した)。
「サンシユユ」は山茱萸でミズキ目ミズキ科ミズキ属サンシュユ Cornus officinalis。晩秋に紅色の楕円形の実をつける、通称ヤマグミのこと。高さ3~15メートルになる落葉小高木で樹皮は薄茶色、葉は互生で楕円形、両面に毛がある。三月から五月にかけて若葉に先立って花弁が四枚ある鮮黄色の小花を木一面に集めて咲かす。花弁は四個で反り返る(以上はウィキの「サンシュユ」に拠る)。