日本その日その日 E.S.モース(石川欣一訳) 第一章 一八七七年の日本――横浜と東京 27 ~第一章 了
日本人が集っているのを見て第一に受ける一般的な印象は、彼等が皆同じような顔をしていることで、個々の区別はいく月か日本にいた後でないと出来ない。然し、日本人にとって、初めの間はフランス人、イギリス人、イタリー及び他のヨーロッパ人を含む我々が、皆同じに見えたというのを聞いて驚かざるを得ない。どの点で我々がお互に似ているかを尋ねると、彼等は必ず「あなた方は皆物凄い、睨みつけるような眼と、高い鼻と、白い皮膚とを持っている」と答える。彼等が我々の個々の区別をし始めるのも、やはりしばらくしてからである。同様にして彼等の一風変った眼や、平な鼻梁や、より暗色な皮膚が、我々に彼等を皆同じように見させる。だが、この国に数ヶ月いた外国人には、日本人にも我々に於ると同じ程度の個人的の相違があることが判って来る。同様に見えるばかりでなく、彼等は皆背が低く脚が短く、黒い濃い頭髪、どちらかというと突き出た唇が開いて白い歯を現わし、頰骨は高く、色はくすみ、手が小さくて繊美で典雅であり、いつもにこにこと挙動は静かで丁寧で、晴々しい。下層民が特に過度に機嫌がいいのは驚く程である。一例として、人力車夫が、支払われた賃銀を足りぬと信じる理由をもって、若干の銭を更に要求する時、彼はほがらかに微笑し哄笑する。荒々しく拒絶した所で何等の変りはない、彼は依然微笑しつつ、親切そうにニタリとして引きさがる。
外国人は日本に数ヶ月いた上で、徐々に次のようなことに気がつき始める。即ち彼は日本人にすべてを教える気でいたのであるが、驚くことには、また残念ながら、自分の国で人道の名に於て道徳的教訓の重荷になっている善徳や品性を、日本人は生れながらに持っているらしいことである。衣服の簡素、家庭の整理、周囲の清潔、自然及びすべての自然物に対する愛、あっさりして魅力に富む芸術、挙動の礼儀正しさ、他人の感情に就いての思いやり……これ等は恵まれた階級の人々ばかりでなく、最も貧しい人々も持っている特質である。こう感じるのが私一人でない証拠として、我国社交界の最上級に属する人の言葉をかりよう。我々は数ケ日の間ある田舎の宿やに泊っていた。下女の一人が、我々のやった間違いを丁寧に譲り合ったのを見て、この米国人は「これ等の人々の態度と典雅とは、我国最良の社交界の人々にくらべて、よしんば優れてはいないにしても、決して劣りはしない」というのであった。
[やぶちゃん注:「我国社交界の最上級に属する人」領事クラスの人物であろうが、惜しいかな、モースは引用元を明らかにしていない。識者の御教授を乞うものである。
「下女の一人が、我々のやった間違いを丁寧に譲り合ったのを見て」日本語の意味がよく分からない。原文は“After a polite concession to some of our mistakes by one of the maids,”。ここは
――下女の一人が、私たちが原因で生じた幾つかのゆゆしい間違った行動に対して、後から、実に礼儀正しい形で、まことに気持ち良く容認してくれたのを見て――
という意味であろう。具体には分からないが、単なる一般的な和式の礼儀作法から外れた行為であったばかりでなく、もしかするとその女性たる下女個人に対して、はなはだ非礼無礼に当るような行為が含まれていたというニュアンスを感じないか? 私が「容認」と訳した真意はそこを想定して選んでみた。シチュエーションとしては――モースらが自分たちの犯した失態に対して下女に恐縮し、“sorry”を繰り返したのに対し、彼女は逆に笑顔で「どう致しまして。外人さんは不慣れで御座いますから私が至りませんで、お気の毒さまで御座いました。」といったように慇懃な挨拶をされた――ということであろう。]
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