明恵上人夢記 23
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又、其の後の夢に云はく、又、崎山兵衞殿とともに合宿し、所勞するに、枕を取りて、成辨之頭の下に樒(しきみ)を押さると云々。
[やぶちゃん注:これは底本では前の「22」に引き続いて改行せずに続いているもので、「22」の次に元久二(一二〇五)年十月十八日から翌未明にかけて見た、ストーリー上は「22」とは別個な夢であろう。
「崎山兵衞殿」既注済み。明恵の養父で叔父であった崎山良貞。
「樒」別名「仏前草(ぶつぜんそう)」とも呼び、弘法大師が天竺の無熱池にあるとされる青蓮華の花に似ているということから代用として密教修法に使用し、古来から在家でもこの枝や葉を末期の水・仏前・墓前に用いたり供えたりする。納棺に際して葉などを敷き、死臭を消うともされており、昔の土葬にあっては遺体を埋めた墓地を動物が掘り荒らすことがあり、これを防ぐために有毒植物(全草有毒で特に種子にアニサチンなどの有毒物質を多く含み、食べれば死亡する可能性もある)である樒を納棺したり供えることによって遺体の食害を避ける効果があったとも言われる(主にウィキの「シキミ」に拠る)。こうした民俗を考えると――「所勞」(単に疲れの意味もあるが、別に病いの意もある)のために臥せっている(その自分を明恵は第三者的にサイドから映画のように見ていると私は読む)目を瞑った明恵の頭の下に親族の崎山が樒の葉を押し込む――というシチュエーションは、とりもなおさず、葬儀の行為、明恵の擬似的な死をこれは暗示させているのではないかと思わせるのである。彼はここで崎山との関係か、若しくは崎山も関わったかもしれない例の丹波某との一連の深刻な(少なくとも明恵の精神史にとって)出来事か事態の中で、一度、心理的に死んで再生する必要か、その願望が無意識下にあったことを意味するのではなかろうか? なお、「又」とあることから、明恵の庇護者でもあった崎山と一緒に宿泊する夢を、明恵はしばしば見ていたことも分かる。]
■やぶちゃん現代語訳
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また、その後に見た夢。
「また以前のように、私は崎山兵衛殿とともに一つところに合宿(あいやど)している。疲弊と病いの重く重なって私は臥せっている。
すると崎山殿が私の枕を取り除いて、やおら私の頭の下に樒(しきみ)を沢山、押し込んで敷き詰めなさっておられるのであった。……」
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