三徑の十歩に盡きて蓼の花 蕪村 萩原朔太郎 (評釈)
三徑の十歩に盡きて蓼の花
十歩に足らぬ庭先の小園ながら、小徑には秋草が生え茂り、籬(まがき)に近く隅々には、白い蓼の花が侘しく咲いてる。貧しい生活の中に居て、靜かにぢつと凝視(みつ)めてゐる心の影。それが即ち「侘び」なのである。この同じ「侘び」は芭蕉にもあり、その蕉門の俳句にもある。しかしながら蕪村の場合は、侘びが生活の中から泌み出し、葱の煮える臭ひのように、人里戀しい情緒の中に浸み出して居る。尚この「侘び」について、卷尾に詳しく説くであらう。
[やぶちゃん注:昭和一一(一九三六)年第一書房刊「郷愁の詩人與謝蕪村」の「秋の部」より。「三徑」は三逕とも書き、中国漢代の蒋詡(しょうく)が、幽居の庭に三筋の径(こみち)を作って松・菊・竹を植えた故事に基づく、庭に設けた三本の小道。転じて隠者の庭園や住居を指す。]
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