生物學講話 丘淺次郎 第九章 生殖の方法 性転換と性的モザイク / 二 雌雄同体 了
以上掲げた例はいづれも一生涯を通じて雌雄の生殖器を兼ね備へたものであるが、動物の中には年齡によつて雌雄の性の變化するものもある。例へば深い海に産る「盲鰻」という八目鰻に似た魚は、若いときは雄であるが年を取ると雌となる。また海の表面に浮いて居る「サルパ」と稱する動物は、體が透明で一寸「くらげ」の如くに見えるが、これは生まれた時は雌で後には雄に變ずる。これらは一疋の動物で雌雄を兼ねて居るから雌雄同體と名づけねばならぬが、生殖器官の雄の部と雌の部との成熟するときが違ふから、働からいふと雌雄異體のものと異ならぬ。また昆蟲などには往々左が雌で右が雄といふやうに身體の兩半の性の異なるものが見付けられるが、これは全く出來損じの畸形であつて、決してかやうな特別の種類が定まつてあるわけではない。
[やぶちゃん注:「盲鰻」これは現在、無顎口上綱ヌタウナギ綱
Myxini ヌタウナギ目ヌタウナギ科ヌタウナギ Eptatretus burgeri に改称されたその標準種及びヌタウナギ綱に含まれる魚類を指す(標準和名メクラウナギが差別和名であるとして二〇〇七年に日本魚類学会により綱以下の名称がヌタウナギへ、種としてのメクラウナギはホソヌタウナギ(細饅鰻)へ変更)。因みに綱名やホソヌタウナギ属
Myxine(二十一種)の「ミクシネ」とはギリシア語の“myxa”(粘液)に由来し、英名は“Hagfish”(ハグフィッシュ:鬼婆魚。漁獲したタラの体内に小さな孔を開けて貫入し、皮と骨のみを残して食害することがままあることに由来。「穴あけ」“borer”という別称もある。ここは一九八九年平凡社刊の荒俣宏氏の「世界大博物図鑑2 魚類」の「メクラウナギ」の記載に拠った)・“Slime eel”(スライムイール:粘液ウナギ。)。一目一科の下、二亜科七属七〇種を含む。但し、「魚類」と記したが、実際にはヌタウナギは脊椎動物として最も原始的な一群に属し、厳密な意味での魚類とは言えず、便宜上、広義に魚類として扱われていると言った方が正確である。参照したウィキの「ヌタウナギ」によれば、ヌタウナギ類は『世界中の温帯域に広く分布し、ほとんどの種類は大陸棚辺縁にかけての深海に生息する。名前にウナギと付いているがウナギ目との類縁関係は遠く』、丘先生がおっしゃるように、『同じ無顎類に属するヤツメウナギと近縁な生物で『生きた化石と呼ばれるグループの一つであり、脊椎動物の起源と進化を考える上で重要な動物である』。無顎類の特徴として顎を持たず、体は細長いウナギ型、皮膚はヌタと呼ばれる粘液に覆われている。体の両側に一~十六対の鰓孔、吻部に三~四対のヒゲを持つ。『骨格を持たず、体は極めて柔軟である。口の周りに歯を持たないが、舌の上に歯状突起があり、大型の魚に吸着し内部を侵食する。鰭は尾鰭のみで、腹鰭・胸鰭などの対鰭を持たない。小脳を欠く。卵巣と精巣を両方持つが、機能しているのはどちらか一つである』。『目は退化的で皮膚に埋没し、外見からは確認できない。眼球には水晶体がなく、特に深い海に生息するホソヌタウナギ属では網膜の発達も悪い場合が多い。目を覆う皮膚は色素に乏しく白みがかって見える。化石種の解析から、ヌタウナギ類の祖先は比較的発達した目を持っており、進化の過程で機能を退化させたものと考えられている』。『一般に腐肉食性で、クジラや他の大型魚類などの死骸に集まる姿がしばしば観察される。鯨骨生物群集としては遷移の初期に見られる。生きた獲物ではゴカイのような多毛類にくわえ、頭足類や甲殻類も捕食していることがわかっている。体側には粘液の放出孔』が七〇~二〇〇個も『一列に並び、ヌタウナギ固有の粘液腺(ヌタ腺と呼ばれる)から白色糸状の粘液を放出する。この粘液は捕食あるいは防御に用いられ、獲物の鰓に詰まらせて窒息させる効果もある』。鱗はない。ただ、いくら調べてもヌタウナギが「若いときは雄であるが年を取ると雌となる」、則ち、♂として成熟して繁殖に参加した後、♀に性転換して繁殖に参加する雄性先熟をしめすという確定記載には巡り逢わなかった。この「若い時は」という限定が気になるが、「年を取ると」ある以上、丘先生の謂いは、若い時分の生殖可能個体に於いては♂であるとしか読めない。ところが性転換する魚類は圧倒的に雌性先熟のものが多く、雄性先熟の性転換を行う魚として知られた種ではクマノミ類が有名であると、ウィキの「雄性先熟」にはある。また、形態上、やや類似性を持つ(但し、分類学上は縁が極めて遠く遙かにウナギに近い)条鰭綱新鰭亜綱棘鰭上目タウナギ目タウナギ科タウナギ属
Monopterus albus が性転換を行うことで知られるが、これは雌性先熟である。識者の御教授を乞いたい。よろしくお願い申し上げる。
「サルパ」サルパ(salpa)は私の好きな生物群で脊索動物門尾索動物亜門尾索(タリア/サルパ)綱サルパ目断筋亜目Desmomyariaに属する原索動物の総称である。暖海性プランクトンで水面のごく表層に浮遊しているが、時に海岸に大量に漂着することもある。世代によって形態が異なり、無性世代では単独個体、有性世代では連鎖個体になって世代交代をする。単独個体は円筒状をなし、体長は二~五センチメートルのものが多いが、中にはオオサルパ
Thetys vagina の如く、一個体でも一二~三〇センチメートルに達するものがある。前端に入水孔、後端若しくは後背面に出水孔が開孔する。ウィキの「タリア綱」には、『近縁種で海底で生活するホヤとは異なり、一生海を漂いながら過ごす。ヒカリボヤ目(Pyrosomida)、ウミタル目(Doliolida)、サルパ目(Salpida)の3つの目に細分される。ヒカリボヤは小さな個虫が総排出腔の周りに集合してコロニーを作っている。総排出腔が開いて個虫から水が排出されると、水の勢いによって前に進む。ウミタルとサルパは生活環上で、個体とコロニーの状態を行き来する。サルパのコロニーは数メートルの長さにもなる。ヒカリボヤと異なり、ウミタルとサルパは筋肉の力によって海中を進む。タリア綱の生物は全て濾過摂食を行う。海中を進みながら、樽の様な形になって水を吸い込み餌を採る』とある。ただ、サルパが雌性先熟であるという記載にも遂に行き当たらなかった。そもそも無性生殖と有性生殖のライフ・サイクルを持ち、外洋性のプランクトンで自力による積極的な異性求愛は難しいと思われるサルパの場合、この性転換に重大な意味が隠されているようには(経年による性転換ではなく環境悪化による場合は別であるが)思われないのだが。前注同様、識者の御教授を乞う。
「左が雌で右が雄といふやうに身體の兩半の性の異なるもの」所謂、ギナンドロモルフ(gynandromorph)、雌雄モザイク・性的モザイク・半陰陽(ヒトの場合で、遺伝子レベルで細胞全体の遺伝的構成が雌雄の中間型によって統一されている間性状態を含める)のこと。ウィキの「雌雄モザイク」には、『雌雄モザイクは節足動物や鳥類で観察されている。発生や組織形成時の体細胞分裂で性染色体の脱落がおき細胞レベルでの性表現が異なる組織がモザイク状になることや、性染色体・常染色体を問わない体細胞突然変異による性ホルモン受容性が変化した組織がモザイク状になることなどが、原因として推定されて』おり、『これらの説は、原因は遺伝子の異常によると考えるものだが、鳥類である鶏に関してこれらとは異なる説がある。その説は、オスの遺伝子を持つ精子とメスの遺伝子を持つ精子の2つが卵子と同時に受精し、1つの卵の中にオスとメスの2つの胚が形成され、それが融合することで雌雄モザイクの鶏が生まれるというもの。この根拠は、2010年に発表された実験』によって、『雌雄モザイクの鶏の細胞を調べた結果、遺伝子に異常がないことが発見されたことによる』とある。更に『昆虫で雌雄モザイクが比較的良く観察されることから、「昆虫には性ホルモンは無く、細胞ごとに性別が決定する」という説が昆虫学では定説』と『となっているが、「昆虫にも性ホルモンがある可能性がある」とする研究者もいる』と附言されている。]