日本その日その日 E.S.モース(石川欣一訳) 第一章 一八七七年の日本――横浜と東京 23 出っ歯の多い日本人
日本人の多くが美しい白い歯を見せる一方、悪い歯も見受ける。門歯が著しくつき出した人もいるが、この不格好は子供があまり遅くまで母乳を飲む習慣によるものとされる。即ち子供は六、七歳になるまでも乳を飲むので、その結果歯が前方に引き出されるのであると。日本人は既に外国の歯科医学を勉強しているが、彼等の特殊的な、そして繊細な機械的技能を以てしたら、間もなく巧みな歯科医が出来るであろう。日本は泰西科学のどの部門よりも医学に就いて最も堅実な進歩を遂げて来た。医学校や病院は既に立派に建てられている。外国から輸入されるすべての薬が純であるかどうか分析して調べるための化学試験所はすぐ建てられた。泰西医療術の採用が極めて迅速なので、皇漢法はもう亡びんとしている程である。宗教的信仰に次いで人々が最も頑固に固執するのは医術的信心であって、それが如何に荒唐無稽で莫迦げていても容易に心を変えぬ。支那の医術的祭礼を速に合理的且つ科学的な泰西の方法に変えた所は、この国民があらゆる文明から最善のものをさがし出して、それを即座に採用するという著しい特長を持っていることの圧倒的実例である。我々は他の国民の長所を学ぶことが比較的遅い。我々はドイツやイングランドには我国のよりも良い都市政制度があり、全ヨーロッパにはよりよき道路建設法があることを知っている。だが我々は果してこれ等の制度を迅速に採用しているであろうか。
[やぶちゃん注:「門歯が著しくつき出した人もいるが、この不格好は子供があまり遅くまで母乳を飲む習慣によるものとされる。即ち子供は六、七歳になるまでも乳を飲むので、その結果歯が前方に引き出されるのであると」「門歯」は哺乳類の歯列の内、中央(前方)に上下二~六枚ずつある物を嚙み切る働きをする切歯。前歯のこと。即ち、ここは日本人には禪師が激しく突出した出っ歯の人がしばしば見られ、それらは(やはりエルドリッジ辺りからの請け売りか)、幼児の離乳が欧米人に比して遙かに遅い、おっぱいをいつまでもちゅぱちゅぱ吸い続けていた結果、歯根がまだ安定していない前歯が前へ突き出てしまい、出っ歯になる日本人が多いからとされる、というのである。こんなとんでもないこと――と思ったら――ウィキの「出っ歯」には、以下のようにあった。『日本人の人類学的形質が縄文時代から現代に至る間に大きく変化した事が、第2次世界大戦後に鈴木尚(東京大学名誉教授 医学博士 形質人類学)らによって、主として関東地方から出土した人骨資料を基に明らかにされた。先に述べたように縄文時代人は鉗子状咬合であり、出っ歯はなかったが、弥生時代から次第に鋏状咬合が現われ、古墳時代には多くが鋏状咬合となったうえ、歯槽側面角も減少し70度以下になったため、出っ歯が多くなった。鎌倉時代では歯槽側面角が60度近くにまで落ち、著しい出っ歯状態になっている。以後はあまり大きな変化はなかったが、江戸時代中期頃から少しずつ歯槽側面角の増大が始まり、明治時代以降は急速に増大している。現代日本人の歯槽側面角は』76・4度『で、まだ突顎の範疇であるが、明治時代以前から見ると大きくなっており、出っ歯は見られなくなりつつある』。『日本人の歴史で見られたこのような変化がなぜ起こったのかはわかっていない。乳幼児期のおしゃぶりの過使用や口呼吸、爪噛みなどが歯列の乱れを引き起こすという説はあるが、大きな時代的変化との関係は考えられない。日本人を含めた黄色人種は一般に白色人種や黒色人種に比べて相対的にも絶対的にも歯牙が大型で(藤田恒太郎『歯の話』岩波新書 1965年、その他)、従って歯列も大きくなる可能性が考えられ、出っ歯になりやすいと見られるが、時代によって変化が生ずる原因は不明である』とあって、このトンデモ学説はしっかり生きていた。フロイトなら口唇期固着を指摘して、日本人の喫煙習慣やアルコール依存症の高さ、爪嚙み行為などの頻出などと連関させた論をぶち上げそうだ。
「日本人は既に外国の歯科医学を勉強しているが、彼等の特殊的な、そして繊細な機械的技能を以てしたら、間もなく巧みな歯科医が出来るであろう」同じくウィキの「出っ歯」には、歯列矯正の文化誌が記されている。以下、引用しておく。『日本においては、第2次世界大戦終結頃までは、日本人の形質として歯槽側面角が小さい事による出っ歯の発現頻度が大きく、出っ歯が普通に見られたため、特に問題視や矯正される風潮はなかった。日本人の国民性として歯並びに無関心であったことも影響していると考えられる。アメリカでは、出っ歯が対象ではないにしても矯正歯科が20世紀初頭には行なわれていたのに対し、日本では第2次世界大戦後になってからの事であった(日本臨床矯正歯科医会の歴史)。西洋人はキスなど口による愛情表現が多いが、日本人にはそうした習慣がないので、その影響も考えられる(藤田恒太郎『歯の話』岩波新書1965年)。戦後の日本人には歯槽側面角の増大が目立ち始め、全体として出っ歯の個体は減少し、それに伴い目立つようになり、またアメリカ文化の強い影響下に入った結果、白人の引き締まった口元が美的優位となったため、それらに伴う美的見地から恥ずべき特性とみなされ、歯列矯正が行なわれるようになった。それでも日本では、歯科医学において歯列の歪みである不正咬合の一つとされて治療(歯列矯正など)の対象とはなるものの、口蓋裂を伴うような重篤な場合を除いて疾患とは判断されず、国民健康保険は適用されない』。しかし『容貌が重要視される俳優・女優等の中にも、歯列矯正を受けた人が少なくないらしいと、インターネット上のサイトやブログで取り沙汰されているが、日本人の歯並びに対する関心が時代と共に変化している事が示されている』とある。百科事典ではまずお目にかかれない記述だ。嬉しいね、ウィキペデイア!
「皇漢法」「こうかんぽう」と読む。原文は“the empirical Chinese practice”。皇漢医学。中国伝来の漢方医学、漢方のことで、漢法とも書く。]
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