野人庵史元斎夜咄 第壱夜 蜥蜴の尻尾
秋の宵。於野人庵。長屋の藪八が薄い酒をちびりちびり。主人史元斎に話しかける。
藪八 「ご隠居、経済産業省出向のお偉いさんがとんでもねえ罵詈雑言をブログに書いてたってえ話、御存知ですかい?」
史元斎「一応はその日のうちに名前を調べ上げて、粗方の公開記事や投稿写真なんどはしっかり読ませてもらったがね。キャリアだか何だか知らねえがよ、『復興は不要だと正論を言わない政治家は死ねばいいのに』だの、『ほぼ滅んでいた東北のリアス式の過疎地で定年どころか、年金支給年齢をとっくに超えたじじぃとばばぁが』だのと、綺羅星の如きその差別表現を目にすると、こりゃ、生理的に虫唾が走るってもんさね。鬱憤晴らしに飼い犬に可哀そうな悪戯をした写真を得意げに載せるのを見た日にゃ、異常性格と言ってもよかろうってもんだな。」
藪八 「昨日のニュースじゃ、マスキングされてやしたが、いけしゃあしゃあと出てきて、私も日本のよりよい未来を考えてるとかどうとか、訳の分からねえ謝罪こいてたやしたね。」
史元斎「あの波状的な確信犯の侮蔑的発言を一度御覧な、ええ? 反省して一日で真人間に戻れるような手合いじゃあネェよ。」
藪八 「でもご隠居、停職二ヶ月喰らってますし、自分で書いてた天下りも、これでオジャンでげしょ?」
史元斎「そう思うかい? だからお前さんはうっかり八兵衛なんて呼ばれるんさ。お前さん、どうやってその情報を確認するつもりだぇ? だいたいお前さん、名はおろか、この出来事自体直きに、忘れっちまうだろ? ほとぼりが冷めた頃には、前に本人も望んでたよに、相応の天下り先へと目出度くちんまりお座りになられるんだろうよ。そのうち、どっかの講演会で、『栄養バランスが整った日本食文化の魅力』なんてえ、有り難ご高説を拝するようになるのがオチだぜ。」
藪八 「……なんだか……ザマ見ろぃと思ってすっきりしてたんが……東北の人が停職二ヶ月で憤ってガツンと一発やりたいねって言ってたけんど、ご隠居の話を聴いてたら、またぞろ、ムカっ腹が立ってきやしたゼ!」
史元斎「まあ、落ち着きなさい。――しかしね、考えようによれば、あの男は、ある真実を儂らに伝えて呉れたじゃないか。」
藪八 「そりゃ、またどういうことでげす?」
史元斎「あの国家機関の中枢で働くキャリアが永きに亙って復興不要を言い放って一向に愧じなかったのは、何故だと思う? それは彼に代表される政治を実際に動かしているキャリアにとっての命題として「不要」が「真」であるからに他ならない。それが彼らの本音であり真理だからに他ならない。図らずもあ奴は、現在の、日本国家という化け物の思惑を、鮮やかに包み隠さずに語って呉れたということじゃ。最早、政府も官僚も東北を復興しようなんて気持ちは実は微塵もない、ということを彼が代表して表明したということじゃ。停職二ヶ月たあ、蜥蜴の尻尾切りとも言えぬ尻尾――尻尾は考えないよ。考えるのは頭だぁな。それが生物学でいう自切じゃ。危なくなると尻尾をちょいと切ってとんずらを決め込むはお上の常套手段よ ♪ふふふ♪」
藪八 「そりゃあ、余りとと言いゃあ余りの……」
(史元斎、台詞を食い、珍しく苛立って)
史元斎「五輪を『復興』と称して招致にまんまと成功したが、あの時、招致委員会の竹田恒和理事長が何と言ったか覚えてるんかい?!――東京と福島は「ほぼ二百五十キロ、非常に、そういった意味では離れたところにありまして、皆さんが想像するような危険性は、東京には全くないということをはっきり申し上げたい」とのたもうたんだよ?! これが『復興五輪』という御旗の後ろに見え隠れするおぞましい本音でなくって何だってえんだい、ええっ?!」
(藪八、しゅんとなる。史元斎、干鮭をカッシと噛み千切って、茶碗酒を煽って吐き捨てるように)
史元斎「……まあ、なんだな……実はもう祭りは……とっくに……終わっちまったのかも……知れないよ……おお、一句出来(でけ)たわ。」
(史元斎、色紙に川柳をものして藪八に渡す。曰く)
――後ろ富士(ふじ)いや久しかれご大典(オリンピア)
(藪八、覗いて)
藪八 「……な、何でげす? こりゃ?」
(史元斎、意地悪く微笑んで黙っている。)
秋の夜は更けゆく。
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