おのが身の闇より吠えて夜半の秋 蕪村 萩原朔太郎 (評釈)
おのが身の闇より吠えて夜半の秋
黑犬の繪に讚して咏よんだ句である。闇夜に吠える黑犬は、自分が吠えて居るのか、闇夜の宇宙が吠えて居るのか、主客の認識實體が解らない。ともあれ蕭條たる秋の夜半に、長く悲しく寂しみながら、物におびえて吠え叫ぶ犬の心は、それ自ら宇宙の秋の心であり、孤獨に耐え得ぬ、人間蕪村の傷ましい心なのであろう。彼の別の句
愚に耐えよと窓を暗くす竹の雪
もこれとやや同想であり、生活の不遇から多少ニヒリスチツクになった、悲壯な自嘲的感慨を汲くむべきである。
[やぶちゃん注:昭和一一(一九三六)年第一書房刊「鄕愁の詩人與謝蕪村」の「秋の部」より。「愚に耐えよと」の「え」はママ。仮名遣の誤りである。蕪村の原句でも正しく「愚に耐へよと」である。
この評釈――『闇夜に吠える黑犬は、自分が吠えて居るのか、闇夜の宇宙が吠えて居るのか、主客の認識實體が解らない。ともあれ蕭條たる秋の夜半に、長く悲しく寂しみながら、物におびえて吠え叫ぶ犬の心は、それ自ら宇宙の秋の心であり、孤獨に耐え得ぬ、人間』萩原朔太郎『の傷ましい心なのであ』る――と置換しても命題として真である。……いや……案外、「月に吠える」とは、この句が秘かなるルーツであったのかも、知れない。――]
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