赤々と日は情なくも秋の風 芭蕉 萩原朔太郎 (評釈)
赤々と日は情(つれ)なくも秋の風
「赤々」といふ言葉によつて、如何にも旅に疲れて憔悴し切つた、漂泊者の寂しい影を思はせる。その疲れはてた旅人の心身へ、落日の秋の夕陽が、赤々と灼きつくやうに照つてるのである。
[やぶちゃん注:『コギト』第四十二号・昭和一〇(一九三五)年十一月号に掲載された「芭蕉私見」の中の評釈の一つ。昭和一一(一九三六)年第一書房刊「郷愁の詩人與謝蕪村」の巻末に配された「附錄 芭蕉私見」の評釈では本句を挙げていない。「奥の細道」の、金沢―小松間での吟詠とされるが異説もある。]
« 凩に匂ひやつけし歸り花 芭蕉 萩原朔太郎 (評釈) | トップページ | 早稻の香や入分右は有磯海 芭蕉 萩原朔太郎 (評釈) »