冬ざれや北の家陰やかげの韮を刈る 蕪村 萩原朔太郎 (評釈)
冬ざれや北の家陰やかげの韮(にら)を刈る
薄ら日和の冬の日に、家の北庭の陰に生えてる、侘しい韮を刈るのである。これと同想の類句に
冬ざれや小鳥のあさる韮畠
といふのがある。共に冬の日の薄ら日和を感じさせ、人生への肌寒い侘びを思わせる。「侘び」とは、前にも他の句解で述べた通り、人間生活の寂しさや悲しさを、主觀の心境の底で嚙みしめながら、これを對照の自然に映して、そこに或る沁々とした心の家郷を見出すことである。「侘び」の心境するものは、悲哀や寂寥を體感しながら、實はまたその生活を懷かしく、肌身に抱いて沁々と愛撫あいぶしてゐる心境である。「侘び」は決して厭世家(ペシミスト)のポエジイでなく、反對に生活を愛撫し、人生への懷かしい思慕を持つてる樂天家のポエジイである。この點で芭蕉も、蕪村も、西行、すべて皆樂天主義者の詩人に屬してゐる。日本にはかつて決して、ボードレエルの如き眞の絶望的な悲劇詩人は生れなかつたし、今後の近い未來にもまた、容易に生れさうに思はれない。
[やぶちゃん注:昭和一一(一九三六)年第一書房刊「郷愁の詩人與謝蕪村」の「冬の部」より。「韮(にら)」は「菲(にら)」であるが、誤字として訂した。「對照」はママ。この最後の附言は日本文学の原理の抉出として鋭い。私も正しくそう思うからである。]
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