中島敦短歌拾遺(4) 昭和12(1937)年手帳歌稿草稿群より(7)……やばいよ……驚愕の恋歌を発見しちまった!!!……
頸の邊のいとくづとりてやりにけり横向きしくちの気取にくしも
[やぶちゃん注:別案を復元する。
頸の邊のいとくづとりてやりにけり横向きしくちのそりのにくしも
……この歌……妻を詠んだものでは「ない」としたら……とんでもないスキャンダラスな歌ということになるであろう……そうして……私は「妻を詠んだものでない」と確信するのである……何故か? 次の一首と注を読まれるがよかろう……]
中空に戀はすまじと人のいふ中空だにも我はこはなし
[やぶちゃん注:本歌は世阿弥作の「恋重荷」を濫觴とするものであろう。シテである御苑の菊守の老人は山科荘司(やましなのしようじ)が女御(ツレ)に恋をし、廷臣(ワキ)が女御の言葉を伝え、美しい荷を見せ、その荷を持って庭を百度も千度も回ったら、顔を見せてもよいという。老人は荷を懸命に持とうとするが持ち上げられない。荷は岩を錦に包んだもので、絶望のあまり、老人は恨みを抱いて憤死するというストーリーで、そこに後半の女御の台詞、 「戀よ戀 我が中空になすな戀 戀には人の 死なぬものかは 無慙の者の心やな」 とある。「ものかは」は反語で、「恋によって人は死なぬか? いや、死ぬることもある!」という謂いである。
「中空に」は形容動詞「なかぞら」①中途半端だ。②心落ち着かぬさま。上の空。③いいかげんなさま、疎か。の意を持つ。
「こはなし」「こは」は「此は」(指示代名詞「こ」+取り立ての係助詞「は」)で、感動表現で、「これはまあ!」「なんとまあ!」の意であるから、この一首は、まさに(!)自分が「今している恋はいいかげんなものでなどでは、決してない!」と中空へ叫んでいるようなものではないか?!……そしてこの恋は……どう考えても、妻への「戀」なんどではありはしない!……この二首は、よろしいか?……昭和十二年の手帳にあるのだよ。――敦は昭和七年にたかと結婚し、昭和八年には長男桓(たけし)が生まれ、その年の十一月に実家から妻子が上京して同居が始まり、昭和十一年には横浜市中区本郷町に一家を構えて、この昭和十二年一月には長女正子も生まれているのだよ(但し、正子は出生三日後に死亡している)。……時に敦、満二十八歳、横浜高等女学校奉職四年目だったのだよ。――何? 喘息はどうだったのか、って?……よろしい、話しましょう。……確かに彼は昭和九年九月に大きな喘息発作に襲われ、命が危ぶまれるという経験をしている。しかしね、その後は登山(昭和十年七月白馬岳登頂)や既に歌でも見たように小笠原(昭和十一年三月二十三日~二十八日)や中国旅行(同じく昭和十一年八月八日~八月三十一日)に出ているのだ。おまけに全集の年譜を見るとだ、この昭和十二年の項には、『七月には教員同士で野球をするぐらゐ元氣で、週二十三時間の授業を受け持つてゐた。七月、同じ敷地内で間取り(八疊、六疊、四疊半)も同じである隣の借家に移る』(私は教師時代、年間通しての最大持ち時間は十九時間以上は持ったことはない)とあるのだよ。(ここまでの文末の「だよ」は「ガンダム」のシャーの強さで読んでほしいものだ)……これでも、この「戀」をスキャンダラスとは言わない、のかね?…………]
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