日本その日その日 E.S.モース(石川欣一訳) 第二章 日光への旅 11 街路点描
仕事をするにも休むにも、日本人は足と脚との内側の上に坐る――というのは、脚を身体の下で曲げ、踵を離し、足の上部が畳に接するのである。屢々足の上部外側に胼胝(たこ)、即ち皮膚が厚くなった人を見受けるが、その原因は坐る時の足の姿勢を見るに至って初めて理解出来る。鍛冶(かじ)屋は地面に坐って仕事をする(手伝いは立っているが)。大工は床の上で鋸を使ったり鉋(かんな)をかけたりする。仕事台も万力も無い大工の仕事場は妙なものである。
時々我々は、不細工な形をした荷鞍の上に、素敵に大きな荷物を積んだ荷牛を見受けた。また馬といえば、何マイル行っても種馬にばかり行き会うのであった。東京市中及び近郊でも種馬ばかりである。所が宇都宮を過ぎると、馬は一つの例外もなく牝馬のみであった。この牡馬と牝馬とのいる場所を、こう遠く離すという奇妙な方法は、日本独特のものだとの話だが、疑もなくこれはシナその他の東方の国々でも行なわれているであろう。
[やぶちゃん注:「疑もなく」はママ。ここに描かれた雌雄の隔離飼育(別に地方に雌を隔離した訳ではなく、たまたまモースの管見したものが圧倒的に雌馬の放牧であったからと思われるが)は、馬が季節繁殖性の哺乳類で、妊娠していない大人の雌馬は日が長くなる春先にのみ発情し、その発情も二~三日しか持続せず、この間にのみ雄を受け入れて、それ以外の時期には雄を受け入れないという習性に基づくものと思われる。]
村の人々が将棋――わが国の将棋(チェス)よりもこみ入っている――をさしている光景はおもしろかった。私はニューイングランドの山村の一つに、このような光景をそっくり移してみたいと想像した。
あばら家や、人が出来かけの家に住んでいるというようなことは、決して見られなかった。建築中の家屋はいくつか見たが、どの家にしても人の住んでいる場所はすっかり出来上がっていて、足場がくっついていたり、屋根を葺かず、羽目を打たぬ儘にしてあったりはしないのである。屋根の多くは萱葺きで、地方によって屋背の種類が異なっている。杮葺(こけらぶき)の屋根もすこしはある。杮は我国のトランプ札と同じ位の厚さで、大きさも殆ど同じい。靴の釘位の大きさの竹釘が我国の屋根板釘の役をつとめる。一軒が火を発すると一町村全部が燃えて了うのに不思議はない。柿というのが厚い鉋屑みたいで、火粉が飛んでくればすぐさま燃え上るのだから……。
* 家屋の詳細は『日本の家庭』に就いて知られ度い。
日本人の清潔さは驚く程である。家は清潔で木の床は磨き込まれ、周囲は奇麗に掃き清められているが、それにも係らず、田舎の下層民の子供達はきたない顔をしている。畑に肥料を運ぶ木製のバケツは真白で、わが国の牛乳鑵みたいに清潔である。ミルクやバターやチーズは日本では知られていない。然しながら料理に就いては清潔ということがあまり明らかに現われていないので、食事を楽しもうとする人にとっては、それが如何にして調えられたかという知識は、食慾促進剤の役をしない。これは貧乏階級のみをさしていうのであるが、おそらく世界中どこへ行っても、貧民階級では同じことがいえるであろう。
[やぶちゃん注:これは庶民階級の食品の衛生観念の低さを言っている。]
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