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2013/09/14

日本その日その日 E.S.モース(石川欣一訳) 第一章 一八七七年の日本――横浜と東京 20 市場探訪記


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図―24


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図―25

 

 旅行中の国の地方的市場を訪れることは、博物学の興味ある勉強になる。世界漫遊者は二つの重大な場所を訪れることを忘れてはならぬ。その土地の市場と、ヨーロッパでは土地の美術館とである。市場に行くとその地方の博物を見ることが出来るが、特にヨーロッパでは固有の服装をした農民達を見ることが出来るばかりでなく、手製の箱、籠等も見られる。横浜の市場訪問は興味深い光景の連続であった。莚を屋根とし、通路の幾筋かを持つ広い場所には、私が生れて初めて見た程に沢山の生きた魚類がいた。いろいろ形の変った桶や皿や笊を見る丈でも面白かったが、それが鮮かな色の、奇妙な形をした、多種の生魚で充ちているのだから、この陳列はまさに無比(ユニーク)であった。縁(ふち)よりも底の方が広い、一風変った平な籠は魚を入れるのに便利である。こんな形をしていれば、すべっこい魚とても容易に辷り出ないからである(図24)。いろいろな種(スペシス)の食用軟体動物(色どりを鮮かに且つ生々と見せるために、水のしぶきが吹きかけてある)を入れた浅い桶には、魅せられて了った。我国の蒐集家が稀貴なりとする標本が、笊の中にザラザラと入って陳列されている。男の子が双殻貝の小さな美しい一種をあけていたが、中味を取って見殻は惜気もなく投り出して了う。浅い桶に、我国の博物館では珍しいものとされている最も非凡な形をした大小のクルマエビや、怪異な形状で、奇妙な姿のカニが、ここにはいくつとなくある。大きな牡蠣に似た生物が一方の殻をはがれて曝されているが、心臓が鼓動しているのはそれが新鮮で生きている証拠である。真珠を産する貝 Haliotis カリフォルニア沿岸ではabalone といい、ここでは「アワビ」というものが、食品として売り物に出ている(図25。浅い竹籠に三つずつ貝を入れたのを売っていたが、その貝殻には美しい海藻や管状の虫がついていて、さながら海の生物の完全な森林を示していた。私が最も珍しく思ったのは頭足類で、烏賊(いか)も章魚(たこ)(図26)もあり、中には大きいのもあったが、生きたのと、すぐ食えるように茹(ゆ)でたのと両方あった。

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図―26

 

[やぶちゃん注:「双殻貝」原文“bivalve”。“bi-”(2の)+“valve”(殻)で二枚貝、斧足類のこと。

「大きな牡蠣に似た生物が一方の殻をはがれて曝されているが、心臓が鼓動しているのはそれが新鮮で生きている証拠である」これは悔しいことに分からない。六月という季節から考えれば岩ガキであろうが、「心臓が鼓動している」というのはおかしい(せいぜい刺激を加えると外套膜が縮む程度である)。その他の海鼠や海鞘(ほや)などの可動しそうなものを考えてみてもナマコならモースはナマコと表現するし、当時の東京や横浜で普通にホヤが売られていたとは思われないし、第一、はっきりと「大きな牡蠣に似た生物が一方の殻をはがれて曝されている」とあって、シャミセンガイ(彼等は貝ではないが)を専門とするモースが二枚貝以外のものをかく誤認した可能性は極めて低い。とすれば何か? マグロ等の魚類の心臓は極めて顕著に動くのを観察出来るが、やはり色と「大きな牡蠣」が合わない、新鮮なタイラギの殻の一方を外してディスプレイすると目立つが、貝柱が目立ってどう転んでも「大きな牡蠣に似」ているとは言えない。……やはりイワガキなのであろうか?……実は分らないことが無性に癪なのだが……どなたかこれ以外の生物の可能性をお教え願えると、これ、幸いである。

Haliotis」原文は斜体“Haliotis”。“Haliotis”は腹足綱原始腹足目ミミガイ科アワビ属 Haliotis(但し、図鑑などではアワビ属を Nordotis とするものも多い)。

abalone」原文は斜体“abalone”。「アヴァロウニィ」は英語でアワビ一般を指す語。]

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図―27

 

 これ等各種の生物はすべてある簡単な方法によって生かされている。即ち低い台の上にのせた大きな円い水槽に常に水を満たし、その水槽から所々に穴をあけた長い竹の管が出ていて、この穴から水がかなりの距離にまで噴出するのである。槽に入れる水は人が天秤棒(てんびんぼう)の両端に塩水を入れた重いバケツをぶら下げて、海と市場とを往復するのであるが、私はこのようにして数マイルも海岸を距った地点にある市場へ海水を運ぶ人を見たことがある。噴き出す水を受けるのは洗い桶で、それには生魚が入っている。このようにして新鮮な海水が魚に与えられるばかりでなく、その水は同時に空気を混合される(図27)。食料として展観される魚の種妖の数の多さには驚かざるを得ない。日本には養魚場が数箇あり。鮭は人工的に養魚される(*)。

[やぶちゃん注:「数マイル」1マイルは約1・6キロメートル。「数」は2~3から5~6までの漠然とした数字を示すから約3・2~9・6キロメートルとなる。

 (*)は底本では「養魚される」の「る」の右に小さく附す。次の原注は底本では全体が一字下げのポイント落ちである。原注の前後に一行空きがあるので、私の注も含めて前後に二行空けた。]

 

 

* 合衆国漁業委員会最初の委員長ベアド教授の談によると、我国の近海にも日本の海に於ると同程度に沢山の可食魚類がいるのだが、我々が単に大量的に捕え得る魚のみを捕えるのに反して、日本の漁夫は捕った魚はすべて持ち帰り、そしてそれを市場で辛棒強くより分けるのである。

[やぶちゃん注:「合衆国漁業委員会最初の委員長ベアド教授」原文“Professor Baird, the first Director of the United States Fish Commission”。スペンサー・フラトン・ベアード(Spencer Fullerton Baird 一八二三年~一八八七年)はアメリカの生物学者。ペンシルバニア生まれ。一八四〇年にペンシルバニアのディキンソン・カレッジを卒業、医学を学ぶためにニューヨークのコロンビア大学に進学するが、二年後にペンシルバニアのカーライルに戻り、一八四五年からディキンソン・カレッジで教え始めた。この間、盛んに動植物の採集旅行を行い、一八四八年、スミソニアン協会のペンシルバニアのボーンケーブの調査と博物学的調査に雇われ、精力的に標本採集に努めた。一八四〇年代にアメリカ合衆国北西部から中央部の各地をしばしば歩いて旅し、一八四二年だけでも三〇〇〇キロメートルを踏破している。一八五〇年、スミソニアン協会の最初の学芸員として雇われ、アメリカ科学振興協会の常任事務局員(Permanent Secretary)に、アメリカ科学振興協会にも三年間務め、重複した標本を他の博物館で重複した標本と交換することで収蔵品を確実に増やしていった。後、副事務局長となり、出版と各国の会誌の流通を促進、各国の研究者に便宜を齎した。一八五六年にはディキンソン・カレッジから博士号を受ける。休暇時はマサチューセッツの海岸の町ウッズ・ホールで過ごし、そこで魚類学に興味を持つようになり、一八七一年には米国魚類委員会委員長に任命され、水産資源の調査に貢献し、ウッズ・ホールを世界の海洋生物研究の中心地に育て上げた人物である。一八七二年にはアメリカ国立博物館のマネージャーとなった。後、スミソニアン協会の副事務局長、一八八三年にアメリカ鳥学会の創立メンバーともなっている。一八五〇年に六〇〇〇だったスミソニアン博物館の標本を彼は没した時点で二〇〇万にまで増やしている(以上はウィキの「スペンサー・フラトン・ベアード」に拠った)。“United States Fish Commission”は正確には“The United States Commission of Fish and Fisheries”(魚及び漁業に関わる米国委員会)であるが一般的に“the U.S. Fish Commission”(米国魚類委員会)と呼称されている(以上は英語版ウィキの“United States Fish Commissionに拠る)。]

 

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図―28

 市場の野菜部は貧弱である。外国人が来る迄は極めて少数の野菜しか知られていなかったものらしい。ダイコンと呼ばれるラデイッシの奇妙な一種は重要な食物である。それは長さ一フィート半、砂糖大根の形をしていて、色は緑がかった白色である。付合せ物として生で食うこともあるが、また醸酵させてザワクラウトに似たような物にする事もある。この後者たるや、私と一緒にいた友人の言をかりると、製革場にいる犬でさえも尻尾をまく程臭気が強い。往来を運搬しているのでさえも判る。そしてそれは屑(ごみ)運搬人とすれ違うのと同じ位不愉快である。トマトは非常に貧弱でひどく妙な格好をしているし、桃は小さく固く、未熟で緑色をしている。町の向う側で男の子が桃を嚙る音が聞える位であるが、而も日本人はこの固い、緑色の状態にある桃を好むらしく思われる。梨はたった一種類しかないらしいが、まるくって甘味も香りもなく、外見と形が大きな、左右同形のラセットアップルに似ているので、梨か林檎か見分けるのが困難であった。果実は甘さを失うらしく、玉蜀黍(スイート・コーン)は間もなく砂糖分を失うので数年ごとに新しくしなければならぬ。莢(さや)入りの豆は面白い形をした竹の筵に縫いつけられて売物に出ている(図28)。鶏卵は非常に小さい。我々が珍しいものとして保存するものを除いては、今迄に見たどの鶏卵よりも小さいのが、大きな箱一杯つまっている所は中々奇妙に思われた。

[やぶちゃん注:「ダイコン」我々には馴染みの、本邦産のビワモドキ亜綱フウチョウソウ目アブラナ科ダイコン Raphanus sativus var. longipinnatus (原ダイコンの原産地は地中海地方や中東で、紀元前二二〇〇年の古代エジプトで現在のハツカダイコン(次注参照)に近いものがピラミッド建設労働者の食料とされていたのが最古の栽培記録とされ、その後ユーラシアの各地へ伝わった)の原種ははっきりしていない。染色体はn=9で、アブラナ属の多くの野菜と同様に自家不和合性を持ち、交雑しやすい。遺伝学的研究から日本のダイコンはヨーロッパ系統・ネパール系統とは差が大きく、中国南方系統に近いことが確認されている。日本には弥生時代には伝わっており、平安時代中期の「和名類聚抄」の「卷十七 菜蔬部」には、園菜類として「於保禰」(おほね)が挙げられている。ちなみにハマダイコンまたはノダイコンと見られる「古保禰」(こほね)も栽培され、現在のカイワレダイコンとして用いられていた。江戸時代には近郊の板橋・練馬・浦和・三浦半島などが既に特産地となっており、その中でも練馬大根は特に有名であった。農林水産省野菜試験場育種部一九八〇年発行の「野菜の地方品種」野菜試験場によれば、全国で一一〇品種が記録されている。二〇一〇年度の生産量は全国で一一七万トンで日本のダイコン生産量は世界一である(以上はウィキの「ダイコン」に拠った)。

「ラデイッシ」原文“radish”。ダイコン属ダイコン変種ハツカダイコン Raphanus sativus。原産はヨーロッパで、日本には明治時代に伝来し、すこぶる近年になってから人気が出るようになった(私も大好物であるが、大きさと個数の割に高いと常々思っている)。英名はラテン語 “rādix”(ラディクス:根。)に由来する。

「一フィート半」45・7センチメートル。

「砂糖大根」ナデシコ目アカザ科フダンソウ属テンサイ亜種テンサイ Beta vulgaris ssp. vulgaris var. altissima。見かけはダイコンやアブラナ属のカブに似るが、御覧の通り、ダイコンとは全くの別種である。ビートの砂糖用品種群でサトウキビと並ぶ砂糖の主要原料であり、根を搾ってその汁を煮詰めることで砂糖を採取する。葉と搾り滓(ビートパルプ)は家畜の飼料として利用され、全世界の砂糖生産量の内の約35%をテンサイが占めている。日本では北海道を中心に栽培されており、テンサイから作られた砂糖は甜菜糖(てんさいとう)と呼ばれ、国内原料による日本の砂糖生産量の約75%、日本に於ける砂糖消費量の25%がテンサイによるものである。本邦における甜菜糖業はモースの来日の二年後の一八七九年に官営工場が北海道内二箇所(現在の伊達市および札幌市)に建設されたことに始まる(テンサイは寒さに強い寒冷地作物で中・高緯度地域に於いて栽培される)。これらの工場は明治三四(一九〇一)年には閉鎖されたが、大正八(一九一九)年に北海道製糖(現在の日本甜菜製糖)が帯広市郊外に製糖工場を建設、その後、ホクレン農業協同組合連合会と北海道糖業を加えた二社一団体体制で現在に至っている(以上はウィキの「テンサイ」に拠った)。

「醸酵させてザワクラウトに似たような物にする」これは続く文の臭気の記載からお分かりの通り、沢庵漬けのことを指している。

「ラセットアップル」原文“russet apples”。底本には直下に『〔朽葉色の冬林檎〕』という石川氏の割注が入っている。“russet”とは、黄褐色・赤褐色・薄茶色・茜色・朽葉色で、まさに一般に我々が思い浮かべる梨の色をした赤リンゴの一種である。リサ氏のブログ「旬のイギリス」の「【ナショナルトラスト】 Russet appleの記事によれば、この“russet”という語には「皮に粉が吹いた状態」を指す意があるそうで、『これだけでもかなりの種類があ』り、一七〇〇年代『に盛んに作られていた古種なのだそう』である。写真を掲げられて彼女も『色が梨みたいですよね』とある。

「果実は甘さを失うらしく、玉蜀黍(スイート・コーン)は間もなく砂糖分を失うので数年ごとに新しくしなければならぬ。」原文は“The fruit seems to lose its sweetness, and sweet corn has to be renewed every few years, as it soon loses its sugar.”。底本には直下に『〔外国から苗種を輸入した植物のことであろう。玉蜀黍は数年ごとに直輸入の種子を蒔かぬと、甘さが減じて行くのであったろう。〕』という石川氏の非常に長い割注が入っている。単子葉植物綱イネ目イネ科トウモロコシ Zea mays は本邦への伝来が遅く、1579年にポルトガル人から長崎または四国に伝播されたもののこれは食用・家畜用飼料・工業用原料に主に使用される極めて硬い硬粒種(フリントコーン)で、本格的に栽培されるようになったのは、明治初期にアメリカから北海道にスイートコーン・デントコーンが導入されてからである。なお、我々が普段用いている「スイートコーン」(甘味種)や「ポップコーン」(爆裂種:文字通り、菓子のポップコーン用を作るのに使用するもの)という語は単に種子の性質による分類であって品種名とは異なる。則ち、スイートコーンという品種は存在しない(以上はウィキの「トウモロコシ」に拠る)。]

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