五月雨や御豆の小家の寢覺がち 蕪村 萩原朔太郎 (評釈)
五月雨(さみだれ)や御豆(みづ)の小家の寢覺がち
「五月雨や大河を前に家二軒」といふ句は、蕪村の名句として一般に定評されて居るけれども、この句はそれと類想して、もつとちがった情趣が深い。この句から感ずるものは、各自に小さな家に住んで、夫々の生活を惱んだり樂しんだりして居るところの、人間生活への或るいぢらしい愛と、何かの或る物床しい、淡い縹渺とした抒情味である。
なお、この「御豆」は蕪村の句では「美豆」で淀川水系の低湿地帯の地名。現在の京都郊外伏見区淀の水垂附近と思われる。清水哲男氏の「増殖する俳句歳時記」の「与謝蕪村の句」の評釈によれば、この『周辺には淀川、木津川、宇治川、桂川が巨大な白蛇のようにうねっている。長雨で川が氾濫したら、付近の「小家(こいえ)」などはひとたまりもない。たとえ家は流されなくても、秋の収穫がどうなるか。掲句は、いまに洪水になりはしないかと心配で「寝覚がち」である人たちのことを思いやっている。蕪村にしては珍しく絵画的ではない句であるが、それほどに五月雨はまた恐ろしい自然現象であったことがうかがわれる。風流なんてものじゃなかったわけだ。似たような句が、もう一句ある。「さみだれや田ごとの闇と成にけり」。「田ごとの」で思い出すのは「田毎の月」だ。山腹に小さく区切った水田の一つ一つに写る仲秋の月。それこそ絵画的で風流で美しい月だが、いま蕪村の眼前にあるのは、長雨のせいで何も写していない田圃のつらなりであり、月ならぬ「闇」が覆っているばかりなのである。こちらは少しく絵画的な句と言えようが、深読みするならば、これは蕪村の暗澹たる胸の内を詠んだ境涯句ととれなくもない。いずれにせよ、昔の梅雨は自然の脅威だった。だから梅雨の晴れ間である「五月晴」の空が広がったときの喜びには、格別のものがあったのである』とある。なお、朔太郎は知られた「五月雨や大河を前に家二軒」については、不思議なことに「郷愁の詩人與謝蕪村」では評釈していない。]
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