死は羽團扇のやうに 大手拓次
死は羽團扇のやうに
この夜(よる)の もうろうとした
みえざる さつさつとした雨(あめ)のあしのゆくへに、
わたしは おとろへくづれる肉身の
あまい怖(おそ)ろしさをおぼえる。
この のぞみのない戀の毒草の火に
心のほのほは 日(ひ)に日(ひ)にもえつくされ、
よろこばしい死は
にほひのやうに その透明なすがたをほのめかす。
ああ ゆたかな 波のやうにそよめいてゐる やすらかな死よ、
なにごともなく しづかに わたしのそばへ やつてきてくれ。
いまは もう なつかしい死のおとづれは
羽團扇(はうちは)のやうにあたたかく わたしのうしろにゆらめいてゐる。
[やぶちゃん注:「羽團扇」鳥の羽で作った団扇(うちわ)。
「颯颯」は「さっさつ」(古語にあっても最初のそれは拗音化する)は風が音を立てて吹くさまを指すが、ここは「雨のあし」で、「あし」は雨・雲・風などの動く様子を足に見立てていう語であり、加えてそ「のゆくへ」を描出するのであるから、風に吹かれて斜に降る雨が、ある彼方へとゆっくりと抜けてゆくような動的な感覚描写(「みえざる」である)として違和感はない。]