日本その日その日 E.S.モース(石川欣一訳) 第二章 日光への旅 2 田舎の寺子屋・鳥居
我々は水田の間を何マイルも何マイルも走ったが、ここで私は水車が潅漑用の踏み車として使用されているのを見た。図31は例の天秤棒で水車と箱とを運んで路を歩いて来る人を示している。同じスケッチで、一人の男が車を踏んで水を溝から水田にあげつつある。先ず箱を土手に入れ、車を適宜な凹に落し込むと、車の両側の泥に長い竿を立てる。人はこの竿につかまって身体の平衝を保ちながら、両足で車をまわすのである。
[やぶちゃん注:私はこの絵を見るまで、水揚げ水車は常時設置されていたものと勘違いしていた。考えて見れば納得の一齣である。]
我々が通った道路は平でもあり、まっすぐでもあって、ニューイングランドの田舎で見受けるものよりも、遙かによかった。農家は小ざっぱりと、趣深く建てられ、そして大きな葺(ふ)いた屋根があるので絵画的であった。時々お寺や社を見た。これ等にはほんの雨露を凌ぐといった程度のものから、巨大な萱(かや)葺屋根をもつ大きな堂々とした建築物に至るあらゆる階級があった。これらの建築物は、あたかもヨーロッパの寺院(カセードラル)がその周囲の住宅を圧して立つように、一般市民の住む低い家々に蔽いかぶさっている。面白いことに日本の神社仏閣は、例えば渓谷の奥とか、木立の間とか、山の頂上とかいうような、最も絵画的な場所に建っている。聞く処によると、政府が補助するのをやめたので空家になったお寺が沢山あるそうである。我々は学校として使用されている寺社をいくつか見うけた(図32)。かかる空家になったお寺の一つで学校の課業が行なわれている最中に、我々は段々の近くを歩いて稽古に耳を傾け、そして感心した。そのお寺は大きな木の柱によって支持され、まるで明け放したパヴィリオンといった形なのだから、前からでも後からでも素通しに見ることが出来る。片方の側の生徒達は我々に面していたので、中にはそこに立ってジロジロ眺める我々に、いたずららしく微笑(ほほえ)むものもあったが、ある級は背中を向けていた。見ると支柱に乗った大きな黒板に漢字若干、その横には我々が使用する算用数字が書いてある。先生が日本語の本から何か読み上げると、生徒達は最も奇態な、そして騒々しい、単調な唸り声で、彼の読んだ通り繰り返す。広い石の段々の下や、また段の上には下駄や草履が、生徒達が学校へ入る時脱いだままの形で、長い列をなして、並んでいた。私は、もしいたずらっ児がこれらの履き物をゴチャまぜにしたら、どんな騒ぎが起こるだろうかと考えざるをえなかったが、幸にして日本の子供たちは、嬉戯にみちていはするものの、もの優しく育てられている。我国の――男の子は男の子なんだから――という言葉――わが国にとって最大の脅威たるゴロツキ性乱暴の弁護――は日本では耳にすることが決してない。
[やぶちゃん注:「政府が補助するのをやめた」明治維新後に成立した新政府が慶応四年三月十三日(グレゴリオ暦一八六八年四月五日)に発した太政官布告(通称で神仏分離令・神仏判然令)及びその後の明治三年一月三日(同一八七〇年二月三日)に出された大教宣布の詔書などの政策を指し、それと同時に吹き荒れたおぞましき廃仏毀釈の影響である。
「パヴィリオン」直下に石川氏は『〔亭(ちん)〕』と割注なさっている。
「男の子は男の子なんだから」原文は“boys will be boys”。「若い男には若い男の特性がある」という諺。人間の生得特性を許容する謂い。男の子は乱暴なもの、若者は常に腹をすかせ、とかく羽目を外したがるといった意味で、同様の表現としては“God's lambs will play.”
(神の子羊たちは戯れるもの。)、“Young colts will canter.”(子馬は駆けるもの。)、“A
growing youth has a wolf in his belly.”(育ち盛りの若者の胃袋の中には狼がいる)、“Youth must have its fling.”(若者は羽目を外さないと承知しない)といったものがある(安藤邦男「英語ことわざ教訓事典」に拠った)。]
所で、これ等各種のお社への入口は“tori-i”と称する不思議な門口、換言すれば枠形(フレーム)(門(ゲート)はないからこう云うのだが)で標示されている。この名は「鳥の休息所」を意味するのだそうである。これが路傍に立っているのを見たら、何等かのお社が、あるいは林のはるか奥深くであるにしても、立っているのだと知るべきである。この趣向はもと神道の信仰に属したものであって何等の粉飾をほどこさぬ、時としては非常に大きな、白木でつくられたのであった。支那から輸入された仏教はこの鳥居を採用した。外国人が措いた鳥居の形や絵には間違ったものが多い。日本の建築書には鳥居のある種の釣合が図表で示してある。一例をあげると上の横木の末端がなす角度は縦の柱の底部と一定の関係を持っておらねばならないので、この角度を示すために点線が引いてある。鳥居には石造のもよくある。これ等は垂直部もまた上方の水平部も一本石で出来ている。肥前の国には大きな磁器の鳥居もある。
[やぶちゃん注:「肥前の国には大きな磁器の鳥居もある」私は見たことがないが、佐賀県西松浦郡有田町大樽に鎮座する八幡宮、陶山(すえやま)神社に奉納された有田焼の鳥居を指すか(社名は俗に「とうざん」とも音読される)。但し、今ある国の登録有形文化財となっている当神社の巨大な磁器製鳥居は明治二一(一八八八)年竣工のものであり、この時にはない(その磁器製鳥居は、おにぎり太郎氏のブログ「九州大図鑑」の「陶山神社の磁器製鳥居」で見られる)。同神社が江戸時代に当時の有田の統治と有田焼及び陶工に関する管理を行っていた鍋島藩の皿山代官所(肥前有田皿山は地名)の指示により造営されたと伝わり、有田焼陶祖の神として陶工たちの崇敬を集めていたことから(ここまでウィキの「陶山神社(有田町)」を参考にした)、恐らく現在のものよりももっと小振りながら、既に陶器で出来た鳥居が存在していたとは想像出来る。識者の御教授を乞いたい。]
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