平成25(2013)年9月文楽公演 竹本義太夫三〇〇回忌記念 通し狂言「伊賀越道中双六」劇評 或いは 「義死」の「死の舞踏」が絶対ルールとなる武士道スプラッター満載の究極の「人生ゲーム」の蠱惑 或いは 心朽窩主人謹製「伊賀越道中飛び双六」
●心朽窩主人謹製伊賀越道中飛び双六の遊び方(凡例)
・全十段。近松半二・近松加作共作。天明三(一七八三)年四月、大坂竹本座初演。安永五(一七七六)年十二月に大坂嵐座で上演された奈河亀輔作の歌舞伎を翌年三月に大坂豊竹此吉座で人形浄瑠璃化した当り作「伊賀越乗掛合羽(いがごえのりがけがつぱ)」の改作である。寛永十一(一六三四)年に起こった鍵屋の辻の決闘に取材する。原事件は曾我兄弟の仇討・赤穂浪士の討入と並ぶ日本三大仇討ちの一つとされるもので、岡山藩士渡辺数馬と荒木又右衛門が数馬弟源太夫の仇である河合又五郎を伊賀国上野の鍵屋の辻で討ったもの。「伊賀越の仇討ち」とも言う。今回の公演は東京では十五年、大阪では二十一年振りの通しである。
・最初の「負け 殺し」の頭の目はその段の主な要人の死者数を示す。㊅は「大ぜい」。
・〔 〕は其処(そこ)で得られる隠しアイテム(伏線や見所)を示す。
第一部
――和田行家屋敷の段――鎌倉桐ヶ谷――
㊁ 負け 殺し 和田行家(ゆきえ)・和田家奴実内
㊀ 勝ち 逃げ 沢井股五郎 ☞桐が谷裏道へ進む
㊂ 戻る 勘当 行家娘お谷 ☞ふりだし鶴ヶ岡へ戻る
㊃ 追ふ 佐々木丹衛門 ☞北鎌倉へ進む
㊄ 一回休み 和田志津馬・傾城瀬川・唐木政右衛門
㊅ 未亡人となる 行家後妻柴垣
〔正宗名刀・贋手紙・高適五律「送劉評事充朔方判官賦得征馬嘶」〕
この段の奥の襖に書かれた漢詩については、本評に先だって記した私のブログ記事『「伊賀越道中双六」第一部冒頭「和田行家屋敷の段」の襖に書かれた漢詩について(参考資料)』を是非、参照して戴きたい。これは謂わば、本作の迂遠な羈旅を象徴する大切な「大道具」なのであった。
この段で殊勝に懺悔をする振りをしながら悪辣な騙し討ちを決行、たらし込んだ行家の奴実内も惨殺する沢井股五郎は、本外題で徹頭徹尾、生得の淫猥冷血の大悪党として描かれ(お谷を貰って名刀を入手し和田家を滅ぼすことを最終目的とする)、一切の同情を排するように構築されており、観客の憎悪を掉尾まで嫌が上にも昂めるようになっている点、美事としかいいようがない。
準主役の志津馬の人物造形の厚みを出すためには、相思相愛の傾城瀬川と「大序
鶴が丘の段」が欲を言えば欲しいところである(無論、上演時間を度外視してということになってしまうのだが)。これがないために、志津馬は掉尾まで何だか「影が薄い」という嫌いが拭えないのである。
なお、この舞台である鎌倉の桐ヶ谷は現在の材木座辺にあった谷戸で、現在の知られる「桐ヶ谷」という桜の品種はもとはこの地に産したからと伝えられている。
――円覚寺の段――北鎌倉――
㊁㊅ 負け 殺し 佐々木丹衛門・股五郎母鳴見・他小者多数
㊀ 勝ち 逃げ 沢井股五郎 ☞藤川新関へ進む
㊂ 勝ち 騙し 沢井城五郎(股五郎従兄弟・和田家に積年の恨みを持つ将軍昵近衆)
㊃ 応戦 負傷 和田志津馬 ☞藤川新関へ進む
㊄ 一回休み 唐木政右衛門
〔正宗名刀・駕籠・沢井家伝来の妙薬〕
観客に既に知られている倒叙式の悪党側の謀略が見かけ上、憎らしいまでに進行するように描かれる。股五郎とその母親との交換という条件の中、母鳴見は駕籠の中で短刀を自らに突き立ててしまう。しかしその後の護送と闇討ちの後、股五郎母鳴見と敵方であるはずの丹衛門との隠された同盟の機略(悪党でもせめて息子に武士らしい果し合いの中で死んでほしいという母心)が明らかにされたかと思うや、意外にも正宗の太刀の無事とそのトリックが明かされ観客は合点する。ところがその瞬間、驚くべき凄絶な壮士と瀕死の老婆の太刀による刺し合いという、鬼気迫る「相対死(あいたいじに)」が演じられるのである!
私はこの不思議な「相対死」に異様なまでの艶っぽささえ感じた。私はこの筋骨隆々の壮年剣士と端正な白髪の婆(ばば)の見つめ合いに、何とも言えぬ不思議な恍惚(エクスタシー)を感じ、図らずも昂奮してしまったことを告白しておく。今回の芝居の最初感動がここで襲ってきた。こういう前部に異常なクライマックスを配したのは誠に憎い仕掛けと思う。また前段に引き続き、股五郎は母の死に一切感情を動かさず、その死骸さえ受け取らぬ人非人として描かれるのには(実景では管領として実権を握っていた上杉家と足利家の対立の中で不満を託っていた城五郎を通しての間接表現となっているが)、精神異常若しくは異常性格者としての股五郎の造形が感じられて慄然とさせる。股五郎はまさに仇討という「系」の中で、その遂行が神の手によって行われるための「悪の機関」としてなくてはならぬ――ということが自然に理解された。よくもこういうピカレスクを造形をし得たものだ。ジャン・ジュネでさえも、ここまでテッテした悪漢を造形することは不可能であったに違いない。
ここで初めて股五郎贔屓の呉服屋十兵衛が登場するが、しかしその頭(かしら)源太でその心情の善玉は言わずと知れるようになっている。
――唐木政右衛門屋敷の段――大和郡山――
× 負け 殺し ナシ
㊄ 離縁婚儀 覚悟 唐木政右衛門 ☞郡山城へ登城
㊀ 離縁妊娠 覚悟 お谷 ☞出産のため一回休み後で岡崎へ進む
㊃ 推挽推察 自害覚悟 宇佐美五右衛門 ☞郡山城へ登城
㊂ 婚儀 饅頭 おのち ☞乳母の懐で休み
㊁㊅ 一回休み 和田志津馬・沢井股五郎
〔駕籠・婚儀の饅頭〕
お谷と駆け落ちしてしまって妻は勘当されたままの唐木政右衛門は、このままでは義父の仇討も義弟志津馬の敵討の助太刀も出来ない。そこで窮余の策として彼は愛する妊娠中のお谷を離縁し、柴垣の産んだ頑是ない満六歳の「おのち」を妻にすることで亡き行家を義理の父とするという、トンデモ機略を秘かにしかも敢然と冷酷を装って実行してしまう。本話は、執筆当時は弟などの目下の敵討は公的に認められなかったために、本来の鍵屋の辻の仇討の渡辺数馬が弟の仇討するという設定を父の仇討ちに変更設定している、とものの本にはあったのだが、それ以上に私はここで、遙かに年上の唐木が「おのち」を妻とすることによって年若の志津馬の義理の弟になって、義理の兄の仇討ちを晴れて助太刀するという構造にもなっているという気がしないでもなかった。異母妹おのちが、訳も分からず三三九度、それより饅頭を欲しがり、遂には乳母の懐の中で眠ってしまう――このシチュエーションは笑いを誘うのだが、私には、実の父への仇討のためという義理は理解しながらも、政右衛門から下女扱いされ、子を孕んでおりながら離縁され、失意の底に陥るお谷が何としても哀れであり(この哀れはついに岡崎の段で驚くべき頂点に達するのであるが)、加えてこの何の憂いもない「おのち」という少女のあどけなさが対位法的にお谷へのかきむしりたくなるような悲哀感を感じさせるのであった。但し、この場面、動きが少なく、やや、途中で睡魔が襲いかけたことは自白しておく。
但し!
この切の咲大夫の台詞の使い分けの神技にはカッと目が覚めた!
何というか、その、ともかく凄い! の一言なのである!
登場人物の台詞が実際に別な大夫によって語られているかのような、則ち、不思議なことに後の台詞が前の台詞を食っているように聴こえる不思議ささえ持っていた!
私は初めて文楽で大夫の技というものに――咲大夫のそれによって――目覚めさせられたと言ってよい。
――誉田家大広間の段――郡山城――
× 勝ち☞負け 桜田林左衛門 ☞恨みを抱き一回休み後に藤川新関に進む
㊀ 負け☞勝ち 唐木政右衛門 ☞藤川新関へ進む
㊁ 自害☞命拾 郡山藩家臣宇佐美五右衛門
㊅ 行司☞芝居 藩主誉田大内記
㊃㊄㊂ 一回休み 和田志津馬・沢井股五郎
〔大槍〕
ここで駆け落ちしてきたお谷と政右衛門二人を父代わりのように面倒を見てきた宇佐美五右衛門が、政右衛門を藩に推挽していた。藩剣術指南役で宿敵股五郎伯父である桜田林左衛門と試合をする。勝手しまうと敵討ちは不可能、そこで前段の末では親代わりの宇佐美に何と!「腹切つて下され!」と頼むのである。「ハヽヽ大慶!」と哄笑して請けがう宇佐美、政右衛門も政右衛門だが、この義心を慮って快諾する宇佐美も宇佐美――しかし見ていて何とも爽やかなのである(但し、その間も私は、眦の端に凝っと顔を伏せたままのお谷が不憫であったことも変わりはないのである)。この不思議な爽快感こそが、動き出したら止まらない仇討機関説――神話としての仇討というメカニズムの証明とも言えると思う。
勝っていながら藩主より追放を命ぜられて不満たらたらに退場する林左衛門(後半は寧ろ彼が悪方の顕在部分を支えることになる)。
そこに藩主大内記が槍を持って現われ、「不忠者!」と政右衛門に突き掛かる!(この槍が本物じゃないかと思うくらい長くて異常なリアリティを醸し出す!)
無論それは芝居なのであるが、藩主がそこまで何もかも分かっているならば(いや、分かっているのであるが)、そのまま指南役を猶予して仇討参加の許諾をしてもよいわけである。であるからしてこれはもう一途に、政右衛門が仇討へ向かうために動いている「仇討自動起動システム」のためなのであって、観客もこの階段で落ちれば必ず死ぬという「相棒」のお約束と同なじに、何らの違和感も覚えないんである。
そこで藩主に神影流の極意を示すシーンは、もう、玉女の独擅場!
大振りの政右衛門と玉女の大きな体がハイブリッドと化して、大内記の振う大槍をグッツ! と摑む!
キリキリという音が幻聴するかのような迫力は言葉では言い表せぬ!
(但し、今回の公演の朝日新聞の玉女のインタビュー記事によれば、師匠で政右衛門の当たり役であった吉田玉男は『あまり大きい胴は嫌や』と『ちいさめに丁寧に人形をこしらえていた』と振り返り、『鬢(びん)の形も独特で立役なら憧れの役。かっこよくつとめたい』と答えておられる。いやもう、ほんと、かっこよかったです!!!)
――沼津里の段――沼津の街道――
× 負け ナシ
㊄ 強がり☞怪我 平作 ☞沼津平作の家へ進む
㊃ 隠密☞驚愕事実 呉服屋十兵衛 ☞沼津平作の家へ進む
㊂ 妙薬☞窃盗覚悟 お米 ☞沼津平作の家へ進む
㊀㊁㊅ 以下三回休み 唐木政右衛門・和田志津馬・沢井股五郎
〔沢井家伝来の妙薬《起動》〕
登場から、その老いさらばえた平作の勘十郎の遣いが尋常でない。その神妙なる「軽さ」が、何か、『これは来るぞ!』という漠然とした直感を感じさせるのである。亡父で先代の勘十郎も得意とした平作であるが、今回の公演の朝日新聞のインタビュー記事で勘十郎は『父が平作を遣う時、軽い人形こそ老いた足取りがが難しいと話していた。僕も還暦。老人役も似合わねば』とおっしゃられているが、足や左遣いの方も含め、この平作はまさに生き人形と言っても過言ではない!
平作の家でのエピソードは、これまた文楽お約束のトンデモない偶然の括弧三乗。股五郎贔屓の呉服屋十兵衛は言わば股五郎の索敵役、平作のお米は実は志津馬相愛の元傾城の瀬川、そうして平作は満二歳の時に養子に出した息子(瀬川の実兄)がいたと昔語り……何と! それが何を隠そう! この呉服屋十兵衛!……近松門左衛門も吃驚の、奇しき因果の天の網島と申そうか。
ここのところ、ずっと1か2列のかぶりつきであったのが、今回は少し後ろの8列中央(第二部は7列中央)という優等生の席であったが、ここから見るとやはり人形の表情は見え難いものの、逆に人形の全体の動きが自然、手に取るように分かる良さがある。言わずもがな、蓑助の捌き(特に次の段のクドきのシーン)は段違(ダンチ)神韻と讃すべきもので、お米の生身の肉にそっと触れるような、えも言われぬ色香をこの距離にあっても(この距離だからこそ)十二分に味わうことが出来た。蓑助が女を遣うと、どんな外題にあっても私はその女に恋してしまう。まさに文楽的に命を棄ててもよいと感じてしまうということをここに私は自白する。無論、今回もお米に惚れたことは言うまでもない。
鶴澤寛治の至宝のいぶし銀と、少年の面影を失わない私の贔屓鶴澤貫太郎のツレの若々しい三味線の音(ね)が道中の景を映して、これ絶品!
――平作内の段――沼津平作の家――
× 負け ナシ
㊀ 事実認識☞決意 平作 ☞沼津千本松原へ進む
㊄ 覚悟☞別離 呉服屋十兵衛 ☞沼津千本松原へ進む
㊂ 窃盗失敗☞告白 平作娘お米実は傾城瀬川 ☞沼津千本松原へ進む
㊁㊃㊅ 索敵 志津馬家来池添孫八 ☞沼津千本松原へ進む
〔印籠・沢井家伝来の妙薬〕
お米は愛人志津馬の深手の傷(円覚寺の段で受けたもの)を癒さんと十兵衛の妙薬を盗もうとして失敗、事実を語って詫びる。股五郎のために動いている十兵衛は、平作に実子平三郎であることも、同時に彼女の実兄でもあることをも言い出せず、表向きはあっさりと去ってゆく。しかし秘かに薬を入れた印籠を残してあった。その印籠を見たお米は、はっと気づく。その紋所は思い人志津馬の仇敵沢井のもの。平作もいまの十兵衛こそが実子と思い当る。
そこで平作は覚悟する。この覚悟こそが凄絶なカタストロフへ繫がることを我々は知らない(無論、今回は床本まで全部読んで準備万端整えての観劇であったが、始まれば私は――愚鈍になることにしている。――「知らなかった」こと、思惟中止する――のである。これが文楽を真に楽しむための大切な心構えであると私は思う)。
平作は娘の愛する志津馬がために、十兵衛を脱兎の如く追い掛け、股五郎の消息を摑まんものと、宙を飛ぶように走り出すのである。
この、勘十郎の軽い捌きがまた、絶妙である。
――千本松原の段――沼津千本松原――
㊀ 事実認識☞自死 平作
㊁ 覚悟☞別離 呉服屋十兵衛 ☞京都伏見へ進む
㊂ 看取り 平作娘お米実は傾城瀬川 ☞京都伏見へ進む
㊃ 看取り 志津馬家来池添孫八 ☞京都伏見へ進む
㊄㊅ 一回休み
〔闇・脇差〕
平作はここで追いつくが、年来の御贔屓の股五郎への義理を通す十兵衛は股五郎の居場所を語ろうとはしない。しかも平作はこの時に至っても十兵衛が実子であることをおくびにも出さない。そして十兵衛の意志堅固を認めるや、平作は十兵衛の脇差を抜き取り、自らの腹にそれを突き立ててしまうのである! 隠れていたお米は父の意想外の暴挙に駆け寄ろうとするが、総てを察した孫八に制止され、凝っと堪えるのである(本来なら、この蓑助の演技に私は注目するはずであったが、平作の捨て身の行為の衝撃に、流石に私は色を失って、平作だけを凝視していた)。瀕死の平作は命と引き換えに股五郎の行方を最期に乞う。十兵衛はこれがたった一度きりしか出来なかった孝行のし納めと、既に察していたところの蔭に潜む妹お米や孫八に聴こえるように股五郎の落延びる先は九州相良と秘密を漏らすのであった(以下の引用は劇場パンフレットの床本を参考にエンディングに近い部分から引用した。なお、私のポリシーから踊り字「〱」「〲」及び大方の漢字を正字化して示した。読みは必要と思われる箇所に独自に歴史的仮名遣で示した。分かり易くするために台詞話者を示した。床本では台詞は実際には全体が一字下げである。以下、この表記注は略す)。
*
平作「エヽ忝い忝い忝い。アレ聞いたか、誰もない誰もない。聞いたは聞いたはこの親仁一人、それで成仏しますわいの。名僧知識の引導より、前生(さきしやう)の我が子が介抱受け、思ひ殘す事はない。早う苦痛を留めて下され」
親子一世の逢ひ初めの、逢ひ納め
十兵衞「親仁樣親仁様、平三郎でございます。幼い時別れた平三郎、段々の不孝の罪、お赦されて下さりませお赦されて下さりませ」
*
と、一期一会の哀しい親子の対面(たいめ)と永訣――互いに念仏を唱えながら死にゆく平作――特に「名僧知識の引導より、前生の我が子が介抱受け、思ひ殘す事はない」という台詞で私は思わず大きく首を縦に振っていた。
――私は幕が引き終った後も、何か憑かれたように――茫然自失として、涙の出るのを抑え切れずにいた。……
勘十郎の平作を越えられる者は、暫くは出るまい。この遣いは、まさに入魂と称すべきものである。
私の文楽鑑賞は邪道で――人形一の大夫は二の次三味はその下――である。しかし流石にこの切の住大夫は感激した。老齢の平作と完全に重なって、まさに「鬼気迫る」ものを感じた。これはもう、必聴中の必聴、聴き逃すことあらず!
かくして第一部は終わる。
而して振り返ってみれば、この前半、そのクライマックスは孰れも
――極悪非道の子ヴァガボンド股五郎を、せめて武士らしい武士、男らしい男として最期を遂げて呉れるように願い、唯一人守らんとする――我々を最期に守ってくれる者は永遠に母だけである――老母鳴見と
――生前、結局、お米や平三郎(十兵衛)のダメ親父でしかなかったものが、その最後の「最期」に父親としての不惜身命の生き様=死に様の一挙手を哀しいまでに美事に選び取った――「父は永遠に悲壯である。」(萩原朔太郎「宿命」)――老父平作と
――老いたる父と母の自死によってこそ、敵討ちへの引導は鮮やかに渡されているのであった。
……かくして道中双六は……池添孫八が真っ暗闇の千本松原に散らす小石の閃光の中……凄絶な死の累積と血の収穫を得て……西へ西へと……向かうのであった……
(以上、第一部観劇 2013年9月16日(月) 於東京国立小劇場)
第二部
――藤川新関の段 引抜き 寿柱立万歳――三河藤関所(昼から夕)――
× 負け 殺し
㊅ 手形書状窃盗☞関所通過 和田志津馬 ☞岡崎へ進む
㊀ 一目惚れ☞手形窃盗共犯 お袖 ☞岡崎へ進む
㊂ 狂言回し 沢井家奴助平 ☞ふりだしへ戻る
㊁㊃㊄ 一回休み 唐木政右衛門・沢井股五郎
〔遠眼鏡・沢井家書状・通行手形〕
藤川関所門前、股五郎を追って西下する志津馬はしかし、通行手形を持っておらず、途方に暮れる。その彼に門前茶屋の看板娘お袖がホの字となったのを知って、志津馬は「色で仕掛ける我が身の大事」と間道への手引きを乞う。そこへ飛脚助平が登場、お袖にマイって、「白齒娘のお初穗を、一口呑ますコレ氣はないか」と鼻の下を伸ばし、各種の茶を洒落言葉に散りばめた「茶の字尽くし」(パンフレットによれば歌舞伎からの逆移入とされる)の滑稽台詞がこの本外題でも特異な軽快な長調の段の曲想をヒート・アップさせる。お袖が少し離れた店先にある遠眼鏡(お袖の父山田幸兵衛は百姓ながら関所の下役人を仰せつかっており、元来は関所破りを監視するためのもの)へと誘う。見慣れぬ望遠鏡にすっかりハマって我を忘れる助平。その隙に、彼を茶飲み話に沢井家家来と知った志津馬が書状(引抜きの前。こちらはお袖は知らない)と手形(引抜きの後。こちらはお袖と共同正犯)をまんまと盗むことに成功する。
《引抜き 寿柱立万歳》
この「引抜き」は知られた衣裳の早変わりの「引き抜き」ではなく、本舞台の演技を一時遮断して、遠街の景を描いた幕(ちゃんと周囲が巨大な黒い丸枠になっていて遠眼鏡の中の景であることが示される)が落ちて、まさに遠眼鏡の中に見える遠くの街路で演じられている万歳を舞台前面で演じる、一種の劇中劇を指している。
この新春を言祝ぐ万歳で、大好きな一輔が大黒頭巾の才蔵の滑稽な舞踏を美事に演じた。――言ってはいけないことなのかもしれないが、出遣いで見たい(というより出遣いでないと悲しいとさえ言える)、心地よい遣い手というのがやっぱりいるもんである。私は故玉男に蓑助・玉女・勘十郎そして一輔である。他の遣い手が生理的にいやだという訳ではないが、どんな人形を扱っても、遣い手の顔が一切邪魔にならない、齟齬を感じないというのはやはり、限定されるものである。それは顏がいいとか悪いとかではなく、その遣い手の顔が自分の知っている誰彼に似ていて、無意識にその連想が入って、人形を見るのを邪魔するからだと私は感じている。ある方などはとてもいい遣い手なのであるが、私にとって因縁のある知人の顔に似ていて、その方が出遣いで出ると何故か芝居に集中出来なくなるという事実があるからである。これは致し方あるまい。――
この万歳はこれ自体を独立の文楽として十二分に楽しめた。私は三味や鼓に合わせて、思わず膝を叩いていて、藤川(現在の愛知県岡崎市)の町人になったような実に爽快な気分であった(これは年内新春という年の設定であろうか? 因みに実際の鍵屋の辻は寛永十一年十一月七日(グレゴリオ暦一六三四年十二月二十六日)のことであった)。
さて助平、ふと気づけば既に「七つの時がはり」(不定時法であるから四時か四時半前後と思われる)、手形のないのに慌てて、あたふたと道を引き返して去ってゆく。お袖と志津馬は難なく関所を通過するのであった。
助平は紋壽が病気休演でこれもまた死んだ平作の息が切れぬ間の勘十郎が代演している。平作の軽さとはまた違った、軽妙滑稽を的確に演じ分けている彼には脱帽である。フランス公演のマネージメントもやっているから寝る間もないだろうに、そうしたもろもろの疲れを一切感じさせない、正直、超人である。
――竹藪の段――三河藤関所(夕)から竹藪へ――
㊀ 負け 殺し 関所巡邏の役人
㊄ 勝ち☞関所破り 唐木政右衛門 ☞岡崎へ進む
㊂ 逃走 沢井股五郎 ☞あがり伊賀上野鍵屋の辻までお休み
㊁ 警護 桜田林左衛門 ☞京都伏見へ進む
㊃ 田舎ヤクザ 蛇の目の眼八
㊅ 一回休み 和田志津馬・お袖
〔闇・雪・鳴子〕
夕闇迫る関所に鎌倉の奥女中の体(てい)の駕籠が着くが、中に忍ぶは股五郎、それを警護するのは、かの政右衛門によって郡山藩を放逐されて恨み骨髄の股五郎伯父桜田林左衛門、林左衛門は土地のゴロツキ蛇の目の眼八を雇って、追跡して来る志津馬・政右衛門殺害を命じた後、関所を抜け、関所の門は閉じられてしまう。入相の鐘の鳴る中、林左衛門の後ろ姿を垣間見ていた政右衛門が関所前まで辿り着くが、今や遅し。逃してなるものかと、政右衛門は関所破りを決意する。
見なしの闇の中、抜き放った太刀を便りに行きの積もった竹藪を抜けてゆく政右衛門、大夫の語りがなく、わずかにスローモーションに処理した映像を見るような絶妙の動きがいやがおうにも緊張感を高める印象的なシーンである。
玉女の眼が血走った政右衛門の眼そのものとなり、警戒の関所役人を一刀のもとに切り殺す――緊迫のシークエンスである。ここで遂に政右衛門は仇討ち成就のために遺恨とは無縁の殺人を行った。最早、仇討システムの停止は出来なくなったと言える重要な鬼気迫る場面なのである。
――岡崎の段――岡崎外れ山田幸兵衛屋敷――
㊁ 義殺・悪徒成敗 政右衛門長男乳児巳之助・蛇の目の眼八
㊅ 師再会☞子殺 唐木政右衛門 ☞京都伏見へ進む
㊄ 夫再会☞悲劇 お谷
㊃ 弟子再会☞洞察 山田幸兵衛
㊂ 新枕・憐憫 お袖・幸兵衛女房(お袖母)
㊀ 奇計・新枕 和田志津馬 ☞京都伏見へ進む
〔御守袋〕
お袖は連れてきた志津馬を泊めようとするが、母曰く、お袖は「去年まで腰元奉公をしていた鎌倉でその主人が勧めた縁談を一方的に嫌って家に戻っている娘であるから、その先方の許婚(いいなずけ)のことを考えると、ふしだらにも若き男を連れて来て泊めるなんどということは出来ませぬ」と断られてしまう。せめても茶でもと呑んでいる間にお袖の濃厚なクドきがはじまる。「……お顏見るから思ひ初め、どうぞ女夫(めうと)になりたいと、胸ははしがらむ白川の關は越えても越え兼ぬる戀の峠の新枕、交はさぬ中(うち)胴欲な、つれないことを云うふ手間で、つい可愛いと一口に、云はれぬかいな」(こういう台詞を言われてみたかったなあ、生涯に一度ぐらいは)。ところがそこに、かのゴロツキ眼八(無論、お約束通り、眼八はお袖に気があり、かなり卑猥な言葉を吐く)が現われ、怪しい男と連れであったやに見えたと、命じられた志津馬らではないかと思っての詮議、お袖はうまく志津馬を奥の部屋に隠す。眼八は執拗に疑って奥の部屋へと押し入るが、すぐに幸兵衛に腕を捩じり上げられて出て来る(無法者眼八を蛇蝎のように嫌っていた幸兵衛が機転をきかして更に志津馬を隠したものらしい)。眼八が追い出されると志津馬が出てきて、ともかくも関所破りの冤罪から救ってくれた礼を申し、自らを先程、藤川新関で盗んだ書状の宛名である山田幸兵衛を捜す浪人者と答える。すると、お袖の父は自分が幸兵衛であると名乗る。不審な顔をしている彼に志津馬は自ら股五郎の従兄弟城五郎所縁の者と称して書状を渡す(ここまでで彼は宛名は見ているものの書状の中身は覗いていないことが分かる)。すると、幸兵衛はその内容を復唱、そこにあったのは腕の立つ山田幸兵衛への股五郎助力の懇請であった。それを聴いた瞬間、志津馬は『これ幸ひ』と、「何をか隱さん」「某こそ」「澤井股五郎」と一計を案じた大芝居をやらかすのである。すると(いやもう、何となく観客は分かっているのだが)お袖が名前だけ聞いて(というところがミソ)生理的嫌悪感(はしっかり観客にあるから何故か共感)を抱いて実家に戻った許婚というのが、これ、何を隠そう、沢井股五郎だったという白々しいまでの浄瑠璃お決まり茫然自失偶然呆然驚天動地の事実開陳。お袖の狂喜は無論のこと、老父母は揃って盃の容易の、婿入りの祝言のと言挙げた挙句、田舎のこととてロクな料理はないが、「……娘のお袖が一種でオホヽヽヽ」「アハヽヽヽ」「ホヽヽヽ」「ハヽヽ」……と何だちょっとエロくて少し不気味な高笑いを交わす始末。
因みにこの十兵衛も、文字通り八面六臂の勘十郎で如何にも安心して見て居られた。文雀のお袖や豊松清十郎の志津馬もともに抑えを利かせてしとやかな感じで、老父母の猥雑な笑いと対極をなし、二人が閨に入る辺りも、不思議に何の妄想も掻き立てないのがいい(志津馬の嘘を知っている我々はお袖と何もないことを何処かで望んでいるからである。少なくとも私はそう感じた)。
夜更け、疑いを払拭出来ない眼八が忍び込んで来て、中央の葛籠(つづら)の中に入って潜む。
この間、入口を90度動かすだけで舞台前面が戸外になる文楽の場面転換にすっかり慣れた自分がちょいと不思議。
外には関所破りをした政右衛門が捕り手に包囲されているが、巧みな柔術でばったばったと組みつく相手をなぎ倒す。その大働きを、音に気づいて起きて来た幸兵衛が凝っと見つめている。そうして表へ出ると、政右衛門を知り合いの飛脚と嘘をついて急場を救う(彼は関所下役人であるから信用度がすこぶる高いわけである)。
礼を述べて立ち去ろうとする政右衛門に対して、引き留め、今の立ち回りでのそれを自分と同じ神影流柔術と見抜く。
そう、またここにまたしてもシュールな偶然がまた仕組まれてあるのだ。
何を隠そう、政右衛門はこの山田幸兵衛の昔の弟子だった!
孤児(みなしご)であった庄太郎(政右衛門の幼名)の武術の師という次第(もうここまでくると違和感を通り過ぎて痛快でさえある)。十五で家出と思っていた庄太郎は、実は幸兵衛の教えを汲んで諸国行脚へ出たのであったことを弁解、再会を喜ぶ二人。ところが幸兵衛は先の股五郎助勢の話をし、こともあろうに、(今自分の娘お袖と新枕の最中の)若造和田志馬などたかが知れておるが、唐木政右衛門という音に聞こえた武術の達人が厄介、立ち向かえる相手は庄三郎お前以外にはない、と本人に本人打倒の話を頼んでくる。しかしこれを索敵のための絶好のチャンスとして、政右衛門は自らの名や身分を隠して口先で加勢を許諾するのである(この時、幸兵衛は葛籠の中の眼八に気づく一瞬がある)。
関所から幸兵衛に呼び出し(まさに政右衛門の実際の関所破りの竹藪の一件であろう)があって、政右衛門は師匠の煙草を刻み、老女房は糸を紡ぐ。
そこに下手より、雪の中を巡礼が乳飲み子を抱えてやってくる。それは何と、お谷である。せめても二人の子を元夫に見せんと政右衛門を追って旅していたのであった。持病の癪(しゃく)を起こして門口に倒れるお谷。覗いた政右衛門は驚愕するが、ここで彼女に出られては演じた嘘がばれる危険があると察し、涙を呑んで、ただの非人乞食と幸兵衛女房へ伝え、先にある御堂へ退去させようとする。しかし、強い癪の発作から動けぬお谷。老女房は政右衛門の関わりになられては不用心というのを抑えて、子供だけでも、と赤ん坊だけは奥の炬燵へ運ぶ。
そこに幸兵衛が帰宅、と同時に、奥から老女房が稚児を抱いて走り出、この子の御守りの中に「和州郡山唐木政右衞門子、巳之助」と書いてあるわいの、と二人に告げる。
幸兵衛はそれを聴くと、人質にとって養育すれば、こっちの六分の強み、敵方にとっては八分の弱み、快哉を叫ぶ。
――その瞬間である
*
政右衞門ずつと寄つて稚兒(をさなご)引き寄せ、喉笛(のどぶえ)貫く小柄の切つ先
幸兵衞驚き
幸兵衞「コリヤ庄太郎。大事の人質ナヽヽヽヽヽなぜ殺した」
政右衞門「ムハヽヽヽヽヽ。この倅を留(と)め置き敵の鉾先(ほこさき)を挫(くぢ)かうと 思し召す先生の御思案、お年の加減かこりやちと撚(より)が戻りましたなあ。武士と武士との晴れ業に人質取つて勝負する卑怯者と後々まで人の嘲(あざけ)り笑ひ草。少分ながら股五郎殿のお力になるこの庄太郎、人質を便りには仕らぬ。目指す相手政右衞門とやらいふ奴。その片割れのこの小倅、血祭に刺し殺したが賴まれた拙者が金打」
と死骸を庭へ、投げ捨てたり
*
[やぶちゃん語注:「金打」は「きんちやう」(きんちょう)」で誓い・約束の意。ここは股五郎への助勢を誓った証し、といった意味である。]
この赤子の喉元を突き刺すシーンは本当に一瞬であって――凄惨凄絶なんどと言ふばかりなし――と感じる暇さえない。まさに「息を呑む」行為としか言いようがない。
ゴミ同然に舞台前面中央に投げ捨てられる赤子……
これは解説から床本まで総てを下調べして見たとしても(実際に今回の私はそうである)、その「実際の行為」を見るまでは信じられない(事実そうだった)、だからこそ、想像出来ない(現実にそれは惨酷鮮烈にして奇妙な謂いだが新鮮であったのだ)、だからこそ「息を呑む」場面なのである。但し、刺す前後、政右衛門の頭の眼の動きには注視せねばならぬ。
とりあえずもう少し、先まで見る。
この直後、幸兵衛は、
*
幸兵衞手を打ち
幸兵衞「ハヽア尤も。その丈夫な魂を見屆けたれば、何をか隱さう、股五郎は奧へ來てゐるわいの。婆、聟殿を起こしておぢや。『アヽコレコレ股五郎殿の片腕になる賴もしい人が來た』と言ふて、こゝへ呼んでおぢや」
政右衞門「スリヤ、澤井股五郎殿はこの内にゐさつしやるか。シテ、外に連れの衆でもござるかな」
幸兵衞「アヽイヤイヤ供もなし、たつた一人。奧底なう話してたも」
と打ち明け語るは
思ふ壺、『何條知れたる股五郎、手取りにするは易かりなん』と、手ぐすね引いて待つ大膽
志津馬は女房が案内に『股五郎が片腕とは、何奴なりとも只一討ち』と鯉口(こひぐち)くつろげ居合腰
氣配り、目配り、互ひにきつと
政右衞門「ヤアこなたは」
志津馬「こなたは」
と一度の仰天
幸兵衞むんずと居直り
幸兵衞「唐木政右衞門、和田志津馬、不思議の對面滿足であらうな」
*
政右衞門の「ヤアこなたは」と志津馬の「こなたは」の発声者は推測である。
ここであきらかなように、既にしてこの時、幸兵衛は彼らの正体を見抜いていた。以下、幸兵衛が述懐する。
――今宵、自らが沢井股五郎と名乗った青年は、聞いている当人とは年恰好も全く異なり、てっきり仇方の志津馬かその余類の騙りと初めから覚えて、取り敢えず騙された振りをして、その内に化けの皮を剝して詮議してやろうと思っていた[やぶちゃん補注:これはお袖の処女をその騙しの犠牲にすることを幸兵衛が全く厭うていないことに注意したい。「志津馬命のお袖にしてみれば一夜ぎりの逢瀬といえども永遠の瞬間だ」などという気障な台詞は煩悩多き私には口が裂けても言えない。]。――しかし、政右衛門については、たった今、それと悟ったのだ。助勢を頼んだら早速に承知しておきながら、しきりに股五郎の所在を聞き出そうとする点では何か変だとは思ってはいたが。今、『子を一抉(いちえぐ)りに刺し殺し、立派に言ひ放した目の内に、一滴浮む涙の色は隱しても隱されぬ。肉親の恩愛(おんない)に初めてそれと悟りしぞよ』とその理由を明かす[やぶちゃん補注:私には政右衛門の眼に涙が確かに「見えた」。そのような効果を玉女は確かに目の動きで表現していたのである。]。
――沢井に対してはさしたる恩がある訳ではないが、お袖を城五郎方へ奉公にやった時、『筋目ある人の娘、末々はわが一家(いつけ)の股五郎と娶合(めあ)はせん』『オオいかにもお賴み申す』とつい言った一言が、『今さら引かれぬ因果の緣』である。その後娘は奉公から引いて帰りはした。が、『今落目になつた股五郎、見放されぬは侍の義理、匿(かくま)ふ幸兵衞ねらふは我が弟子。惡人に組みしてくれと賴むに引かれず、現在わが子をひと思ひに殺したは、劍術無雙の政右衞門。手ほどきのこの師匠への言ひ譯、イヤモさりとては過分なぞや。その志に感じ入り敵の肩持つ片意地も、もはやこれ限(ぎ)り、たゞの百姓。町人も侍も、變らぬものは子の可愛さ、こなたは男の諦めもあらう。最前ちらりと思ひ合す順禮の母親の心が察しやらるゝ』。
こうして逆に幸兵衛は我が子を残忍に殺めてまで義理立てをして仇討ちの本懐を遂げんとする政右衛門に感じ入って、志津馬らに協力を決意するのではある。
しかし、この幸兵衛の言説は男のクールな義理の主論理として語られ、附けたりで、お谷の心情が察せられる、と余韻を含ませているのであるが、多くの方は逆に論理的に納得がいかないのではなかろうか? そもそも事後検証から巳之助の死は有効であったと言えるかという点が問題となる。この幸兵衛の謂いからすれば、政右衛門が正直に胸襟を開いて語っていたらと仮定してみると、若しくは股五郎を語っている怪しい青年と政右衛門をこれより早く対面させていたらと考えてみると、この凄惨悲痛なカタストロフは起こり得なかったということが容易に理解出来るのである。幸兵衛が庄太郎が政右衛門であることを確信するためには、実子巳之助殺傷の場面は、十分条件ではあるが必要条件ではない。ここに事実は避け得ぬ「義理の論理」による正当化などは実は全く成り立たないのである。
これはもう、作品の構造から見れば話柄を「悲惨に」「凄惨に」し、これ以上の「猟奇性はないとも言える」「己の赤子の咽喉を指す父」「乳児の首から吹き出ずる鮮血」という、「慄っとするほど」「スプラッターな」この上なく「面白い」「シュールな」場面を創る――『為にする』子殺しのシーン――に過ぎないと批判されても文句は言えないであろう。
だが、そう批判する人々でさえも、この実の子の喉笛を搔き切る政右衛門に怒りよりも前に――何か限りない『無意識の悲愴の共振』を感じるのではないか(因みに私がそう思っているわけではないが、フロイト先生が本作を鑑賞し得たならば、父の子殺し、去勢恐怖の象徴を見て快哉を叫ぶことは想像に難くない)。それ自体が、起動して一定安定速度に達して順調なる当速度運動に入った「伊賀越道中双六」というゲーム・マジックの中の駒となった我々を象徴している現象なのだとも私は思うのである。
いや、まだ、私の強いしこりとなっているお谷の扱いぶりを語っていなかった。
以下、先の幸兵衛の台詞の直後からである。
*
と悔めば
門に堪へ兼ねて、『わつ』と泣く聲内よりも、明くる戸すぐに轉(まろ)び入り、あへなき骸(から)を抱き上げ
「コレ巳之助、物言ふてたも、母ぢやわいの。夕べまでも今朝までも、憂い辛いその中にも、てうちしたり藝盡し、父御(ててご)によう似た顏見せて自慢せうと樂しんだもの。逢ふとそのまゝ刺殺す、慘たらしい父樣を恨むるにも恨まれぬ。前生(さきしやう)にどんな罪をして侍の子には生れしぞ。こんなことなら先刻(さつき)の時、母が死んだら憂目は見まい。佛のお慈悲のあるならば、今一度生き返り、乳房を吸うてくれよかし」
と庭に轉(まろ)びつはひ廻り、抱きしめたるわれが身も雪と消ゆべき風情なり
*
慰めの言葉もなき母の悲痛慟哭が聴こえる……涙に暮れる一同……
ところがこの直後から、芝居はどんどん寸詰まってきてしまうのである。
――ここで志津馬が股五郎の消息を訊ねると、幸兵衛曰く、ついさっき、庄屋に呼ばれた際、そこで股五郎に逢った、今頃は山越えをして中山道と答える(この時の台詞はそこで落ち延びるための手引きを自分がした時、『城五郎へ一旦の情け、股五郎との緣もこれまで。思はぬ手段(てだて)が緣になり、志津馬殿と言ひ交した娘が身の果、不憫や』と言っているのだが、その時にそう思ったとなると、お袖不憫どころか、ますます巳之助の死は回避できたのじゃなかったんかい! と突っ込みたくなってしまう私が、納得づくのはずの私の中にもいるんである……)。
――とお袖が上手から出現。これがまあ、尼になってるんじゃあねえか、都合よく!……
――それでも志津馬への思いを残すお袖を不憫と思い(?)、幸兵衛は一行の中山道への道案内を命ずる、ってさ、もう、尼さんになってんだぜい?!……
――さて、この場のことをみんな知ってる奴が、この場にしゃしゃあとずっといるので片付けなくちゃあなんねえ。葛籠の中の眼八、ここで血祭り! スプラッター駄目押し!……
――「……と笑ふて祝ふ出立(しゆつたつ)は、侍なりける次第なり」……
という祝祭で幕、かい!!
……でも私はもう、大働きの最後の眼八の惨殺シーンもあまり覚えていないのだ。……
……なぜなら私はずっと……下手縁の脇に巳之助の亡骸を抱いて蹲る……哀れなお谷だけを……見ていたのだから……
(お谷を遣うはやはり私贔屓の和生。今回の公演の朝日新聞のインタビュー記事には、『型がほとんどない場面も。現代では理解されづらい女性像を心情一本で見せたい』と語っておられたが、この段、美事、その思いを顕現なさっておられる!!!)
――伏見屋北国屋の段――京都――
㊀ 身代り 義理 呉服屋十兵衛
㊅ 奇計 和田志津馬 ☞あがり伊賀上野鍵屋の辻へ進む
㊄ 奇計☞看取り 瀬川(お米)
㊃ 謀略☞ 失敗 桜田林左衛門 ☞あがり伊賀上野鍵屋の辻へ進む
㊂ 奇計・共謀 池添孫八・池添孫六 ☞孫八はあがり伊賀上野鍵屋の辻へ進む
㊁ 仇討言挙げ 唐木政右衛門 ☞あがり伊賀上野鍵屋の辻へ進む
〔手紙読上・目薬〕
まずは梗概を述べる。
京都伏見船宿北国に眼病養生のために逗留する若い男女は志津馬と瀬川、その隣室に部屋をとっているのは桜田林左衛門である。志津馬・瀬川の元にやって来る按摩は家来池添孫八。林左衛門が志津馬の治療に訪れる医師竹中贅宅を買収、毒薬を点眼させると、志津馬は俄かに激痛に見舞われて倒れ伏す。そこに押し入った林左衛門は正体を明かして志津馬を足蹴にしつつ首でも縊ってくたばれ、と言い放って、股五郎もともに逗留している事実を明かす。するとまた俄かに志津馬は居直る。この志津馬の病いは機略の仮病で、買収した贅宅はこれ、実は孫八の兄孫六というどんでん返し。遁れる林左衛門を追おうとすると、股五郎への義理から呉服屋十兵衛が現われて前を遮ったため、志津馬は勢いで十兵衛を斬ってしまう。十兵衛は虫の息の中、股五郎が伊賀越えをして伊勢へ抜けようとしていることを告げ、漸く現れた政右衛門に父平作への思いと妹の瀬川と志津馬の契りを懇請しつつ、息絶える。一行は遂に直近に捉えた股五郎一味を追って夜道を急ぐのであった。
本段に対しては、私は幾つかの大きな不満を持った。
まず大きいのは劇作の構成上の問題点で、浄瑠璃特有の全部やらせであったというステロタイプのエピソード・オチは、一作の中でここまで何度も繰り返されてしまうと、少々飽きが来るのである。特に本段のように大団円の直前で、準主役級の志津馬が、見え見えの仮病に見え見えの毒殺未遂、しかも贅宅は宅悦で、お岩よろしく眼病で毒盛りくるし(但し、鶴屋南北の「東海道四谷怪談」自体の初演はずっと後年の文政八(一八二五)年)、前半、上手の部屋で林左衛門が按摩痃癖(けんぺき)実は孫八に揉まれながら盗み聴きをするシチュエーションが並列して観客の笑いを確信犯で誘うのだが、私は何だか如何にもという気がして、寧ろ、そのシーン、流れ自体の陳腐さに少々失笑してしまったというのが本音である。
期待したお米(瀬川)の贔屓の一輔なのであるが、記憶に残る第一部の蓑助のお米の神技とどうしても比較してしまうと、あの沼津の段の、衣服の下のしなやかな女体の感触が如何せん、まるで伝わってこない。但しこれは、場面が場面(舞台構造に無理があって左右にギュウ詰めで全体に観客に強いる「みなし」もし難い。しかも、どうも原作では隣りの部屋ではなく二つの旅宿という設定になっているらしいから、そうなっていたらと思うと、もうこれ、慄っとするほど狭くなるのである)、狭い部屋の中であるために極端に動きが少ないせいにもある。しかし、目の前であっという間に現われて、あっという間に去ってゆく(冥途に)瞼の兄の死をお米が悲しんでいない。お米の――「頭(かしら)」ではなく――その「体」が悲しんでいるようには残念ながら見えなかったのである。前の万歳の才蔵を一輔が如何にものびのびと爽快に遣っていただけに、この閉塞感と動きのなさ・硬直感・手狭には、正直、本日の日本三大ガッかりの一、という気がした。
十兵衛登場という設定も、あまりといえばあまりに唐突で、出たとたんに斬られて、そこにまた突如政右衛門がぬっと登場して……これ、吉本興業のお笑いパフォーマンスかと見まごう出方である。狭い部屋の中はもう人形と遣い手でごっちゃごちゃだ。この舞台では末期の十兵衛の思いを伝えるには無理がある。私はまさにそこを期待していたのだが、やはり何だか裏切られた感じであった。
この段、まずは思い切った舞台構成の原作改変刷新が望まれるように思われる。そうすればもっとコーダを盛り上げるいい舞台になる気がする。このままでははっきり言って逆に感興を殺いでしまっていると言わざるを得ない。
――伊賀上野敵討の段――あがり伊賀上野鍵屋の辻――
㊅ 負け 討死 桜田林左衛門・沢井股五郎一党☞「貧乏農場」ならぬ無間地獄へ
㊀ 勝ち 和田志津馬 ☞「億万長者の土地」ならぬ鳥取へ
㊁ 勝ち 唐木政右衛門 ☞鳥取へ
㊂ 勝ち 池添孫八 ☞鳥取へ
㊃ 勝ち 石留武助 ☞鳥取へ(以下の私の語注を参照)
㊄ ☞降りだしに戻る
〔馬・名刀正宗(叙述はないが志津馬が遣うはこれでなくてはなるまい)〕
ここはもう床本を引くに若くはなし――「伏見北国屋の段」の末尾から示す(前段最後の政右衞門「さらば」志津馬「さらば」の発声者は推定)。
*
……唐木が勇める力足
手負ひを跡に三つ瀬川
三途の瀨踏みは敵の魁(さきがけ)
政右衞門「さらば」
志津馬「さらば」
を夜嵐に、聲吹き分くる海道筋、跡を慕ふて
伊賀上野敵討の段
急ぎ往く
されば唐木政右衞門、股五郎を付け出だし、夜を日に繼いで伏見を出で、伊賀の上野と志し、心も急(せ)きに北谷(きただに)の四つ辻にこそ入り來たる
政右衞門聲をかけ
政右衞門「ヤアヤア志津馬、目指す敵は只一人(いちにん)。孫八、武助(ぶすけ)は我に構はず志津馬を圍み油斷すな。たとへ助太刀幾十人あるとも、我一人にて引き受けん。最早來るに間もあるまじ、一世の晴れ業(わざ)、心得たるか」
と言葉に
各々勇み立ち、目釘合して待ち懸けたり
程もあらせず股五郎、惡黨ばらに前後を圍はせ一番手は林左衞門、さゞめき渡り我(われ)一と、小田町筋へと打ち通る
かくと見るより和田志津馬、木陰より飛んで出で、向こうに立つて大音(だいをん)上げ
志津馬「ヤアヤア澤井股五郎、和田行家(ゆきえ)が一子同苗(どうみやう)志津馬、この處に待ち受けたり。イザ尋常に勝負せよ、勝負々々」
と聲掛くれば
續いて唐木政右衞門
政右衞門「ホヽウ久しや櫻田林左衞門、郡山にて眞劍の勝負を望みしその方、今日に至つたり。サア覺悟せよ」
と呼ばはつたり
林左衞門「心得たり」
と林左衞門、馬上よりひらりと飛び下りるを
政右衞門「どつこい、やらぬ」
と政右衞門、仁王立ちに突立てば
林左衞門「邪魔ひろぐな」
と打ちかくる
政右衞門「心得たり」
と受け流し、付込む所を
身を開き
飛ぶよと見えしが林左衞門
唐竹割に切伏せたり
後は助太刀銘々に拔き連れ拔き連れ切結ぶ
此方は必死一騎と
一騎、股五郎相手に和田志津馬
手利きと
手利きの晴れ勝負、いづれ拔け目はなき所へ
政右衞門は韋駄天走り
政右衞門「ヤアヤア志津馬、未だ討たぬか、助太刀の奴ばらたつた今一人殘らず討ち捨てしぞ。殘るはそやつ只一人、ソレ踏み込んで討ち止めい」
と聲の助太刀百人力
よろめく所を
付け入つて肩先ざつぷと切り付けたり
さしもの澤井たじたじたじしどろになるを
疊み掛け鋭き一刀大地へどつさり、起こしも立てず乘り掛かり
志津馬 「年來の父の仇」
政右衞門 「舅の敵」
孫八・武助「主人の仇」
一度に晴るゝ胸の内、空に知られし上野の仇討ち、武名は世々に鳴り響く、伊賀の水月(すいげつ)影淸き、今に譽れを殘しけり
*
[やぶちゃん語注:「水月」は水面に映る鮮やかな月影の意以外に、兵法に於ける陣立ての一つ、水と月が相い対するように、両軍が接近して睨み合う意を掛けた(因みに余談ながら「水月」は人体の鳩尾の別称でもある)
「石留武助」モデルは渡辺数馬の助っ人の一人で荒木又衛門の門弟川合武右衛門(池添孫八のモデル岩本孫右衛門も実際には数馬の家来ではなく又衛門の門弟である)。彼は実際には孫右衛門とともに桜井半兵衛を相手をしていた。そこへ又右衛門が加わって討ち果たした際、不運にも斬られて命を落としている。]。
(以上、第二部観劇 2013年9月23日(日) 於東京国立小劇場)
* * *
天明三年四月。大坂竹本座前。
折しも近松半二と近松加作の外題「伊賀越道中飛び双六」の人形芝居が跳ねた直後である。
藪八 「面白(おもろ)かったなあ!!」
野治郎「ほんまに。……せやけど何や、喉に引っかかるようなもんがある……」
直吉 「どこがじゃ!? 政右衛門格好えかったやないか! なぁ、御隠居?」
史元斎「ムヽ。野治郎や、何が魚の骨か、云うてみい。」
野治郎「ヘェ。……その……お谷はんやちっこい巳之助がなんや、こう、酷(ひど)う哀れで……」
直吉 「われは非力で女子どもが大の好みやからなあ! アハヽヽヽヽ! 大方、十何人も死んでもうた芝居にびびったんやろが!?」
藪八 「……マア……そうやなぁ、わても哀れに思わなんだわけでもないが……やっぱし、これは仇討ちに突き進むところの話を楽しむんが芝居の妙味じゃて。」
野治郎「せやけど……わてが政右衛門やったら……あないなこと……とてものことに出来まへん。……好いた女を棄て目(めえ)に入れても痛(いと)うない子(こお)を対面(たいめ)のその間に首掻っ切るなんど……。それに……人でなしの股五郎を思うて刀を喉(のんど)に突き立てた鳴見のおっ母さんや……腹に脇差ぶっ刺した平作の爺さんにも……それにあのやさ男の十兵衛もわざと志津馬はんに斬られるどっせ?!……とても、なれまへん……あんたら、なれまっかいなッ?!」
(藪八、野治郎、直吉、押し黙る。)
史元斎「ムヽヽヽ 野治郎の謂いは一理ある。……儂らは武士でのうて良かったの。……普通は仇討ちなんどと申すしがらみから遠く離れて生きておられるからの。……仇討に巻き込まれたお武家は……これ……股五郎と同じように、どこかで――人でなし――にならねば本懐を遂げることは出来んのやな。巳之助は武士の子(こお)に生まれたが因果……されど、仇討ちという宿命をかの者たちは生き生きと生きたとも言えようの。……さても、確かに平作や十兵衛は町人じゃの。……あの者たちまでもがなぜ死んでゆかねばなんらぬのか。……これもまた、義理のためじゃが、そこには実は、孰れもお米への愛憐のあればこそじゃった。……儂は鳴見殿の老母の死にまず心打たれ、また、平作の切腹の場に至っては……これ、図らずも涙致いた。……按ずるに……義理はこれらの人々のように、愛を伴(ともの)うてこそ美しいものじゃとは――これ、思わんか?……」
(藪八、野治郎、直吉、皆、ちんまりとなって、しおらしく合点する。)
史元斎「ハヽヽヽヽ さても今日は二十二夜、女どもは皆、月待であろ。一つ皆して、鍵屋の辻の頃を偲びながら、おのちと亡き巳之助のために一つ、塩饅頭を肴に一献と参ろうかの?」
(藪八、野治郎、直吉、皆、急に元気になって、激しく合点。)
* * *
……「生きると言うことはそのプロセスを楽しむことである」
とは、昔、中一の私が作文に書いた言葉であった。中年の独身の女性国語教師が痛く褒めて評釈付きで文集に載せて呉れたのを思い出す。
私にとっては今も人生はそうしたものとしてあるように思う。
成果やら結末やらに価値はない。
そこに至る過程に於いて生ずる精神と感情と肉体のエネルギの交換によって生ずる「現象」にこそ我々は「常に生きていると感じている」のである。
それは「生きている」という「錯覚を実感する」――謂わば「幻想を実相として誤認する」――ことに過ぎぬのかも知れない。
私はそれでよいと思う。
あらゆる文芸のドラマとは、皆、そうした「幻覚のみなし」のエッセンスの、濃厚な抽出と圧縮に他ならない――に過ぎない。だからこそ
たかが芝居――されど芝居
なのである。(完)