戀さまざま願の糸も白きより 蕪村 萩原朔太郎 (評釈) 《注を追加したリロード》
戀さまざま願の糸も白きより
古來難解の句と評されており、一般に首肯される解説が出來ていない。それにもかかはらず、何となく心を牽かれる俳句であり、和歌の戀愛歌に似た音樂と、蕪村らしい純情のしをらしさを、可憐になつかしく感じさせる作である。私の考へるところによれば、「戀さまざま」の「さまざま」は「散り散り」の意味であろうと思ふ。「願の糸も白きより」は、純潔な熱情で戀をしたけれども――である。またこの言葉は、おそらく蕪村が幼時に記憶したイロハ骨牌か何かの文句を、追懷の聯想に浮べたもので、彼の他の春の句に多く見る俳句と同じく、幼時への侘しい思慕を、戀のイメーヂに融かしたものに相違ない。蕪村はいつも、寒夜の寢床の中に亡き母のことを考へ、遠い昔のなつかしい幼時をしのんで、ひとり悲しく夢に啜泣いていたやうな詩人であつた。戀愛でさへも、蕪村の場合には夢の追懷の中に融け合つて居るのである。
[やぶちゃん注:昭和一一(一九三六)年第一書房刊「郷愁の詩人與謝蕪村」の「秋の部」より。「心を牽かれる」は「索かれる」であるが、初出の「郷愁の詩人與謝蕪村四」(『生理』5・昭和一〇(一九三五)年二月)によって訂した。なお、初出では、評釈が終わった後に一行空けて、
附記。或る人々の解説によれば戀の本質はだれも同じ白色だが、樣式の相違によつて、種々樣々の色彩に變るとの意味だと言ふ。かくの如くば、この句は單なる理屈であり、誌も情趣もない無味乾燥の駄句にすぎない。
とある。また、この評釈については、「蕪村俳句の一考察」(『句帖』第二巻第九号・昭和一二(一九三七)年九月号所収)という附言評釈がある(リンク先に前掲済)。]