日本その日その日 E.S.モース(石川欣一訳) 第一章 一八七七年の日本――横浜と東京 12 人力車は乗り方にご用心! / 多彩な子供の髪型
大分人力車に乗ったので、乗っている時には全く静かにしていなくてはならぬことを知った。車を引く車夫は梶棒をかなり高く、丁度バランスする程度に押えている。だから乗っている人が突然前に動くと――例えばお辞儀をする――車夫は膝をつきお客は彼の頭上を越して前に墜ちる。反対に、友人が通り過ぎたのに気がついて、頭と身体とをくるりと後に向け同時に後方に身体をかしげると、先ずたいていは人力車があおむけにひっくりかえり、乗っている人は静かに往来に投げ落される。車夫は恐懼(きょうく)して頭を何度も下げては「ゴメンナサイ」といい、群衆は大いによろこぶ。
日本人の持っている装飾衝動は止るところを知らぬ。赤坊の頭でさえこの衝動からまぬかれぬ。両耳の上の一房、前頭部の半月形、頭のてっぺんの円形、後頭部の小さな尻尾――赤坊の頭を剃るにしても、こんな風に巧に毛を残すのである。
[やぶちゃん注:「両耳の上の一房」頭の左右にのみ髪を残して他を剃る江戸時代の唐子という中国風の子供の髪型。
「前頭部の半月形」月代(さかやき)。
「頭のてっぺんの円形」頭頂部の百会(ひゃくえ)と呼ばれる部分に丸く髪を残す芥子(けし)・芥子坊主と称する江戸時代の子供の髪型。この髪型には水難除けの意味があり、子供が川遊びをするなどして溺れた際に氏神が残した髪を引っ掴んで引き上げてくれるからと伝承されているが、短く前髪を残すものを含め、ここでモースが挙げるような多様な形や剃り方があったのは、何よりも親が自身の子を見分けるというプラグマティクな目的のためであったと考えられる(ここはウィキの「芥子坊主」を参考にした)。
「後頭部の小さな尻尾」後頭部にほんの一つまみほどの髪の毛を残す子供の髪型。京阪では盆の窪(訛って盆の糞)などと言い、江戸ではごんべい・八兵衛と称したと、サイト「青葉台熟年物語」の「孤老雑言」にある「268.髪結(ヘアースタイル)2」に書かれてある。この髪型は、かの南方熊楠が幼年期になしていた髪型でそれを思い出して描いた南方の絵も残っている。]
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