生物學講話 丘淺次郎 第九章 生殖の方法 三 單爲生殖(3)ミツバチの例 /了
圖の中央から左當り米粒を竝べた如くに見えるものは卵巣
卵巣から出てゐる管は輸卵管
輸卵管の上に見える球形の小嚢受精嚢]
以上はいづれも個體の數を速に增加させるための單爲生殖であるが、他の場合には單爲生殖か兩親生殖かによつて生まれる子に雌雄の差の生ずる例がある。その有名なものは蜜蜂であるが、蜜蜂の一社會には卵を産む雌はたゞ一疋よりない。これが所謂女王である。雄はこれに對して數百疋もあるが、實際雌と交尾するものは、その中でたゞ一疋よりない。しかして女王がこの雄と交尾するのは一生涯中にたゞ一囘で、それから後卵を産むに當つては、卵に精蟲を加へることも精蟲を加へずして卵のみを産み出すことも、女王の隨意である。交尾すればむろん雄蜂から女王の體内に精蟲が入り込むが、女王の生殖器にはこれを受け入れるための受精嚢があるから、まづその中へ收めて置き、後に至つて産卵するとき、この嚢の口を開いて精蟲を出すことも出來れば、それを閉ぢて精蟲を出さぬようにも出來る。されば女王の産んだ子には父のあるものと父のないものとがあるが、父のあるものはすべて雌になり、父のないものはすべて雄になる。そして雌は生まれてからの養育のしかたにより、或は働き蜂ともなりまたは女王ともなる。かやうな次第で雄蜂は母から生まれ、母には夫があるが、これはたゞ義理の父とでもいふべきもので、眞に血を分けた父ではない。同じ母から生まれた兄弟でありながら、姉や妹には皆父があつて、兄や弟には父がないといふのは、動物界でも他に餘り類のない例で、これにはまた何か種族の生存上に都合のよい點が必ずあつたのであらうと思はれるが、今日の所ではまだ確な理由はわからぬ。
[やぶちゃん注:二文目の最初の「蜜蜂」は底本では「蜂蜜」。錯字なので訂した。この段落に解説されたミツバチの性決定のシステムは半倍数性(単倍数性)と呼ばれるものである。以下、ウィキの「半倍数性」によれば、ハチ類(ハチ・アリ)の一部及び甲虫類の一部(キクイムシ)に見られる性決定の様式で、このシステムにおいては性染色体は存在せず、染色体数によって性が決定される。丘先生のおっしゃるように、未受精卵から生じる一倍体(半数体)の個体は雄となり、受精卵から生じる二倍体の個体は雌となるのである。『雄のミツバチの遺伝子は母親である女王バチに完全に由来する。女王バチの染色体は32本、雄バチの染色体は16本である。雄バチの遺伝子は次代の雄に伝わらず、従って雄バチには父がなく、雄の子もない。雌である働きバチの遺伝子は半分が母親に、半分が父親に由来する。このため、女王バチが単一の雄と交配した場合、生まれる働きバチから抽出した任意の2個体は平均3/4量の遺伝子を共有する。二倍体である女王バチのゲノムは染色体の乗換えの後に卵細胞に分配されるが、父親のゲノムは変化せずに受け継がれる。従って雄バチの産生する精子は遺伝的に同一』なものとなるのである。恐らくはここにミツバチがこうしたシステムを採る戦略の企図が隠されているように思われる。]