易水に根深流るる寒さ哉かな 蕪村 萩原朔太郎 (評釈)
易水に根深(ねぶか)流るる寒さ哉かな
「根深」は葱の異名。「易水」は支那の河の名前で、例の「風蕭々として易水寒し。壯士一度去つてまた歸らず。」の易水である。しかし作者の意味では、そうした故事や固有名詞と關係なく、單にこの易水といふ文字の白く寒々とした感じを取つて、冬の川の表象に利用したまでであらう。後にも例解する如く、蕪村は支那の故事や漢語を取つて、原意と全く無關係に、自己流の詩的技巧で驅使してゐる。
この句の詩情してゐるものは、やはり前の「葱買て」と同じである。即ち冬の寒い日に、葱などの流れて居る裏町の小川を表象して、そこに人生の沁々とした侘びを感じて居るのである。一般に詩や俳句の目的は、或る自然の風物情景(對象)を敍することによつて、作者の主觀する人生觀(侘び、詩情)を咏嘆することにある。單に對象を觀照して、客觀的に描寫するといふだけでは詩にならない。つまり言えば、その心に「詩」を所有してゐる眞の詩人が、對象を客觀的に敍景する時にのみ、初めて俳句や歌が出來るのである。それ故にまた、すべての純粹の詩は、本質的に皆「抒情詩」に屬するのである。
[やぶちゃん注:昭和一一(一九三六)年第一書房刊「郷愁の詩人與謝蕪村」の「冬の部」より。太字部分は底本では傍点「●」。引用は「史記」の中でも最も知られた「列傳卷八十六」の「刺客列傳第二十六 荊軻」で、始皇帝暗殺のための死の覚悟を込めて彼が詠む詩、「風蕭蕭兮易水寒、壯士一去兮不復還」に基づく。]
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