新生 北原白秋
新生
新らしい眞黄色(まつきいろ)な光が、
濕つた灰色の空―雲―腐れかかつた
暗い土藏の二階の窻に、
出窻の白いフリジアに、髓の髓まで
くわつと照る、照りかへす。眞黄(まつき)な光。
眞黄色(まつきいろ)だ眞黄色(まつきいろ)だ、電線から
忍びがへしから、庭木から、倉の鉢まきから、
雨滴(あまだれ)が、憂鬱が、眞黄(まつき)に光る。
黑猫がゆく、
屋根の廂(ひさし)の日光のイルミネエシヨン。
ぽたぽたと塗りつける雨、
神經に塗りつける雨、
靈魂の底の底まで沁みこむ雨
雨あがりの日光の
鬱悶の火花。
眞黄(まつき)だ‥‥眞黄(まつき)な音樂が
狂犬のやうに空をゆく、と同時に
俺は思はず飛びあがつた、驚異と歡喜とに
野蠻人のやうに聲をあげて
匍ひまはつた‥‥眞黄色(まつきいろ)な灰色の室を。
女には兒がある。俺には俺の
苦しい矜(ほこり)がある、藝術がある、さうして欲があり、熱愛がある。
古い土藏の密室には
塗りつぶした裸像がある、妄想と罪惡と
すべてすべて眞黄色(まつきいろ)だ。――
心臟をつかんで投げ出したい。
雨が霽れた。
新らしい再生の火花が、
重い灰色から變つた。
女は無事に歸つた。
ぽたぽたと雨だれが俺の涙が、
眞黄色(まつきいろ)に眞黄色(まつきいろ)に、
髓の髓から渦まく、狂犬のやうに
燃えかがやく。
午後五時半。
夜に入る前一時間。
何處(どつ)かで投げつけるやうな
あかんぼの聲がする。
註。四十四年の春から秋にかけて、自分の間借りして居た旅館の一室は古い土藏の二階であるが、元は待合の密室で壁一面に春畫を描いてあつたさうな。それを塗りつぶしてはあつたが少しづつくづれかかつてゐた。もう土藏全體が古びて、雨の日や地震の時の危ふさはこの上もなかつた。
*
「東京景物詩」より。底本(昭和25(1950)年新潮文庫「北原白秋詩集」)では「註」は五字下げ(二行目以降は七字下げ)の下インデントである。なお、第二連一行目の二度目の「眞黄色」には「いろ」しかルビがないが、補った。
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